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ディープインパクト、武豊の第一印象は「女の仔かと思った」

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 7月30日、史上2頭目の無敗の三冠馬となったディープインパクトが、北海道の「社台スタリオンステーション」で急死した。17歳だった。 

 

 同牧場によれば、7月28日、ディープは頸部の手術を受け、術後の経過も安定していたが、 翌29日の午前中に、突然、起立不能に。レントゲン検査を行ったところ、頸椎に骨折が見つかった。回復の見込みが立たないことから、30日早朝、安楽死の処置が取られたという。 

 

 

 ディープインパクトが生まれたのは、2002年3月25日。「日本競馬の歴史を変えた種牡馬」と呼ばれるサンデーサイレンスが父親だ。

 

 当時を知る関係者は、かつて本誌の取材に対し、「当時(0歳)いくらか成長が遅かったので、2002年7月のセレクトセール(サラブレッド0歳時におこなわれる日本最大の馬のセリ市)で上場するような馬としては不利だったと思います」と語っている。

 

 実際のセレクトセールでは、ディープインパクトは7350万円で落札されている。 

 

セレクトセールの様子

 

 その後、ノーザンファームの横手裕二厩舎で管理された。ディープインパクトを知る当時の関係者がこう明かす。

 

「調教で特に目立っていたわけではないんですが、乗っていると、体全体が弾むようなクッションのよさは感じました。1歩1歩が小さいんだけど、大きく見せるような感じ。1回1回縮まる、反発する力がすごいんですね。縮んで伸びるバネがすごかった」

 

 レースデビューしたのは、2004年12月。現役時代は、すべてのレースで武豊騎手とコンビを組んだ。武騎手は、2018年の本誌取材に対し、「初めて逢ったときは、小さくてかわいらしい顔をしていて、女の仔と間違えるほどでしたが、いざ乗ってみると、ほかの馬とはエンジン性能がまるで違う。すごいじゃなくて、やばい! というのが最初の印象でした」と、語っている。

 

 騎手も驚く脚力と瞬発力で、ディープインパクトは、デビューからわずか1年で偉業を成し遂げる。2005年には、4月の皐月賞、5月の日本ダービー、10月の菊花賞すべてに勝利し、史上2頭目の無敗の三冠馬となった(1頭目はシンボリルドルフ)。

 

 菊花賞の舞台となった京都競馬場には、無敗の三冠馬誕生をこの目で見ようと、13万人あまりの観衆がつめかけた。圧倒的な支持を集めたディープインパクトの単勝馬券が「100円元返し」となったことは伝説となっている。 

 

 その後も勝ちを重ね、2006年の有馬記念に勝利して引退。現役時代の成績は14戦12勝、獲得賞金は当時としては歴代2位の14億5455万円。

 

 2007年からは、北海道の社台スタリオンステーションで、種牡馬となった。その際、組まれたシンジケート(種牡馬の共有システム)は、1株8500万円の60株、計51億円で日本競馬史上最高額となった。

 

 ディープはその後、着々と種付を進め、有力馬を送り出していく。2007年から2018年までの血統登録頭数は1661頭、産駒(生まれた馬のこと)の収得賞金は513億円にものぼる。
 

 競走馬としても種牡馬としても活躍したディープだったが、競馬関係者によれば、近頃は腰の調子が悪く、今年は20頭程しか種付けをしていなかったという。

 

 武騎手は、日本中央競馬会を通じて「体調が良くないと聞いていたので心配していたのですが残念です。私の人生において本当に特別な馬でした。彼にはただただ感謝しかありません」とコメントした――。


ダルビッシュ有、激怒「二重契約」で団野村をクビに

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2012年、ダルビッシュ親子(右2人)とレンジャーズ入団会見に臨む団氏(左端)[写真・アフロ]

 

 代理人を生業にして約25年、敏腕交渉人として知られる団野村氏(62)。かつてインタビューで「ルールは我々のバイブル。常に選手がいちばん」と語っていたが、あるトラブルが原因で、ダルビッシュ有(32)に代理人契約を解除されていた。

 

「代理人の仕事は、あくまでも選手ファースト。少しでもいい契約を獲得しようと努力しているんです。でも、『あの人』の仕事には、疑問符がつきます。法律的には問題ないかもしれませんが、代理人としては倫理上、非常に問題だと思っています」

 

 

 憤懣やるかたない、といった表情で語るのは、多くの選手を抱える、とある敏腕代理人である。そして、この代理人が「あの人」と呼ぶのが、団氏である。問題点を指摘する前に、団氏の経歴を簡単に説明しよう。

 

 一躍、団氏の名が知られるようになったのは、1995年のこと。野茂英雄(50)が、日本球界を敵にまわしてメジャーリーグ入りを目指したとき、その代理人として尽力したのが彼だった。以後、伊良部秀輝(故人)や吉井理人(54)ら、多くの日本人選手をメジャーに送り込んでいる。

 

 ダルビッシュも、2011年オフに、メジャー挑戦を表明した際には、代理人として団氏を頼った。そのダルビッシュと団氏の間に契約上の問題が起こったのは、レンジャーズに在籍中だった、メジャー2年めのこと。

 

 2013年9月、ダルビッシュはスポーツメーカーのアシックスと、年2億円×5年間という大型契約を結んだ。その際、団氏はダルビッシュが受け取る年2億円のうち、手数料として20%にあたる4000万円を毎年受け取ることになった。ここまでは代理人として正当な報酬であり、なんの問題もなかった−−。

 

アシックスと団氏の間で交わされた契約書

 

 ところが団氏は、その代理人報酬とは別に、アシックスから年60万ドル(約6000万円)を受け取る、5年契約を交わしたのだ。前出の代理人は、「ダブルエージェントに(二重契約)にあたり、代理人として非常に問題」と指摘する。

 

 ちなみに、アシックスが団氏に年60万ドルを支払う契約の内容はというと、「ダルビッシュの販促活動の日程調整」などが名目になっていたという。ところが……。

 

「実際には、ほとんど業務はおこなわれていませんでした。要するに到底、対価に見合う業務内容ではなかったのです。

 

 社内では、ダルビッシュ選手との契約に問題はないが、団氏と結んだ契約に対しては、『こんな契約はありえないし、無駄金だ!』と非難する声が多く上がっていました」(アシックス関係者)

 

 驚くべきことに、アシックスと団氏が結んだ契約を、ダルビッシュはまったく知らされていなかったという。

 

「ダルビッシュが知ったのは、5年契約の終盤だったそうです。反応? 激怒したものの、団氏と揉めていることを世間に知られることは本意ではなく、事を荒立てることはしませんでした。

 

 その代わり、ダルビッシュは団氏との代理人契約を2017年で解除して、“恩人” と決別したのです。それまでは、ワッサーマン社と共同で代理人業務をおこなっていましたが、これ以後、団氏は代理人から外されました」(メジャーリーグ関係者)

 

 ただし、話はここで終わらない。ダルビッシュとアシックスの契約は2018年3月末に終了したが、その後、同じ条件で、契約はさらに5年間延長された。

 

「その際、団氏は自分もアシックスと前回と同様の契約をあらためて結んだのです。団氏の言い分は、『アシックスとの契約は自分が持ってきた案件だから』というもの。

 

 強引に押し切られたダルビッシュ側は、この契約だけは彼にまかせたが、球団との交渉などにはいっさい関わらせていません」(同前)

 

 倫理上の問題だけですむのか? 日本プロ野球選手会公認選手代理人で、スポーツ法務に詳しい山本健太弁護士に話を聞いた。

 

「日本では、代理人は弁護士しかなることができませんので、日本でのことに置き換えてお話ししますが、もし選手の代理人が、交渉中の相手方から何か利益を得るようなことがあれば、弁護士法違反に問われて、懲戒される可能性もあります。

 

 ダルビッシュさんから代理人としての報酬をもらうことは、当然のことで問題ありませんが、交渉相手であるアシックスからも利益を得てしまうとなると、話が違ってくるわけです。

 

 また、団さんがアシックスと契約したことをダルビッシュさんが知らなかったとしたら、信頼関係を破壊されたことになるわけですし、弁護士倫理にも反します。日本では、このようなケースを聞いたことがありません。これは大きな問題だと思います」

 

 この件についてアシックスに問い合わせたところ、「契約につきましては守秘義務がございますので、回答は差し控えさせていただきます」との回答が寄せられた。また、団氏側からは期日までに回答がなかった。

 

 団氏の功績は誰もが認めるだけに、その名を汚してほしくない−−。

 

(週刊FLASH 2019年8月13日号)

八村塁、マイケル・ジョーダンに電話するも緊張で「何も覚えてない」

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写真:AP/アフロ

 

 バスケットボールの八村塁選手が、7月28日放送の『情熱大陸』(TBS系)に出演した。

 

 6月に日本人として初となる、NIKEの「ジョーダン」ブランドとの契約を果たした八村。番組で、密着スタッフから「マイケル・ジョーダンと会ったことはありますか?」と聞かれ、「会ってないです。でも契約する前に電話はしました」と回答し、「『Welcome Jordan Family』って言われて。びっくりしました」と感想を語る。

 

 

 相手はバスケットボール界のレジェンドだ。スタッフが「緊張しませんでした?」と質問すると、八村は「緊張どころじゃなかったですね。もう何がなんだかわからなかった。サンキューだけしか言えなかった。(ジョーダンから)いろんなことを言われたんですけど、もう全然わからないくらい覚えていない」と明かしていた。

 

 契約に際して、NIKEの公式サイトでは社長のクレイグ・ウィリアムズ氏が、八村について「彼はすでにコートで活躍した実績があり、それは彼が世界でヒーローとなるプロセスでもある。コートやそれ以外でも発揮される彼の強い個性と成熟が、私にとってとても印象的だ」とコメントしている。

 

 ちなみに、もともと少年野球に打ち込んでいた八村がバスケを始めたのは中学生のときだが、八村をバスケ部に誘った恩師・坂本穣治氏は週刊新潮(7月4日号)のインタビューでこう明かしている。

 

「バスケ部に入ってからは、常にNBAの話題を振り、マイケル・ジョーダンらの映像を見せた。それで塁の心の中でもNBAへの夢が膨らんだのでしょう。中学卒業時には“NBAに行く”と豪語するようになっていました」

 

 八村は7月22日に行われたイベントで、NBA1年めの抱負を聞かれ「ウィザーズはトレードをしていい選手が集まってきている。まずはプレーオフに出られるように、シーズンを通して、一試合一試合の中でどれだけ僕が勝ちに貢献できるかを目標としている」と明かしている。

大船渡高校「佐々木朗希」投げずに岩手大会で準優勝

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「日本を背負っていく選手になりたい」

 

 涙をこらえ、新世代の “怪物” は宣言した。

 

 高校野球・岩手大会の決勝。それまで4試合で435球を投げた大船渡高校の佐々木朗希投手(17)は、出場せずに終戦を迎え、準優勝に終わった。

 

「故障を防ぐため」と、はっきり述べた國保陽平監督(32)が見つめていたのは、「選手の未来」だろう。高校野球と球数。長年議論されているセンシティブな問題をぶち破る英断だ。

 

 

 大物野球人が「喝」と叫ぶかもしれない。それでも「投げない」という選択は、新しい時代を切り開いた勲章として、いつまでも君に輝く。

(週刊FLASH 2019年8月13日号)

東京五輪に内定、瀬戸大也を支える妻は「塩素の匂いが好き」

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写真:Penta Press/アフロ

 

 東京五輪200m個人メドレー、400m個人メドレー代表に内定した瀬戸大也選手が、7月31日、記者会見に登壇した。W杯東京大会(8月2日~、東京辰巳国際水泳場)に400m個人メドレーで参加することを受け、「コンディションも調子もいいので、しっかりいい記録を狙いたい」と意気込みを見せた。

 

 瀬戸は、韓国で開催された「世界水泳2019」で、上記2種目の金メダルを獲得。通算4つの金メダルとなり、北島康介の記録を抜いた。その躍進の秘密はどこにあるのか。

 

「瀬戸の好調ぶりを支えているのは、飛び込み選手だった優佳夫人の手料理なんです。結婚して2年たちますが、料理が苦手だった夫人が『アスリートフードマイスター』の資格を取り、しっかり栄養管理しているそうです」(スポーツ記者)

 

 

 2019年7月25日の日刊スポーツで、優佳夫人が瀬戸の食事について語っている。

 

「主人は汁物が好きで、主菜、主食、副菜もそろえてます。アスリートの食事というと丼のバーンと思われがちですが、バランスが整った食事が特長。

 

 試合前1週間は練習量が減るので、普段と同じ量だと太ります。でも炭水化物=米はエネルギーなのでとってほしい。梅干し、こんぶ、のりとご飯のおともを用意して、おかずを少なめにします」

 

 ジュニア時代から知り合いだった2人だが、交際に至ったのは、瀬戸選手の猛アタックだった。親交のあった飛び込み選手に紹介してもらったという。当初はやんわり断られたが、「ちょっとでいいから」と粘った。

 

 初めは交際をためらっていた優佳夫人だが、瀬戸との結婚を決意したのは「匂い」だったという。それは香水でも体臭でもなく、プールの塩素の香りだ。

 

「自分がずっと塩素の匂いをしてたんで、(相手もその匂いだったから)落ち着くんです」と3月13日放送の『戦え!スポーツ内閣』(MBSテレビ)で明かしている。

 

 さらに、スポニチ7月29日の記事によると、夫人は2年前に挙げた結婚式で会場を塩素の匂いで満たすことを提案したという。知人に頼み、塩素の香りがする香水を入手したが、残念ながらイメージと違ったため、実際には使わなかったそうだ。

 

 2人の間には昨年6月、長女が生まれている。子供も「塩素」の匂いが好きになるかどうかはわからないが、妻の献身的なサポートで、W杯東京大会でも大いに活躍することだろう。

西野朗、タイ代表監督就任で「W杯」最強の敵になる

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「サワディーカップ、ポムチューアキラ・ニシノカップ(こんにちは、私は西野朗です)」

 

 タイサッカー協会による “フライング発表” 騒動で、一時はぎくしゃくしたものの、西野朗氏(64)が、サッカーのタイ代表および、同国の五輪世代代表監督に就任した。西野氏への期待は大きく、監督就任も同国で連日報道されているという。

 

 

 冒頭のタイ語による挨拶は、7月21日の就任会見でのもの。最後には手を合わせる挨拶のポーズも披露し、その顔は晴れやか。だが、日本の関係者からは、行く末を案じる声もちらほらと……。

 

「仮にもJリーグで最多勝利数を誇る監督であり、ロシアW杯では、監督就任から日が浅かったにもかかわらず、チームをベストに導いた “英雄”です。

 

 一方、タイはW杯に出場したことがない。西野氏が監督になっても、タイがこれまでどおり予選敗退なら、経歴に傷がつきますよ」

 

 日本サッカー協会や西野氏の関係者からは、そういう理由で反対の声が上がっていた、とスポーツ紙記者は語る。だが、本人が「どうしても現場にいたい」と押し切って就任したという。

さらに……。

 

「日本からスタッフを連れていく予定はなく、まさに『単身』で乗り込むつもりだそうです」(担当記者)

 

 64歳には厳しい海外挑戦となりそうだが、当地のサッカー事情はいかほどか。

 

「タイの選手はもともと非常にポテンシャルが高いんです」

 

 そう語るのは、2019年の6月までタイリーグのノーンブア・ピチャヤFCで監督を務めるなど、タイで5チームを率いてきた神戸清雄氏(57)。

 

 だが、その一方で日本人には信じられないくらい「ルーズ」なことが弱点になっているそうだ。

 

「遅刻してくる選手もいて、練習開始に全員が揃わないこともしばしば。そういうこともあり、ポテンシャルの高さのわりに、国際舞台で結果を出せなかったんです」(神戸氏)

 

 しかし外国人監督の受け入れで、規律が重視されるようになり、タイのサッカー選手たちは変わりはじめている。

 

 また、タイの経済成長もサッカーに好影響を与えている。タイ1部リーグで、ブリーラム・ユナイテッドに所属する元日本代表の細貝萌選手(33)はこう語る。

 

「ブリーラムは、立派なクラブハウスをいくつも持っていて、宿泊も可能。ヨーロッパでも一部のメガクラブを除いて、こんな施設は見たことがありません」

 

 肝心の実力はというと−−。

 

「選手レベルの差が激しく、チームプレーなどにはまだ難があります。でも、チャナティップ選手(北海道コンサドーレ札幌)が、昨季のJリーグベストイレブンに選出されるなど、非常に高いテクニックを持つ選手がたくさんいる。

 

 技術的な部分は、これまでも日本にとって脅威でした。西野さんが監督になって不足している部分が備われば、怖い存在になると思いますよ」(細貝)

 

 西野監督がいるタイ代表は「鬼に金棒」状態。神戸氏も「W杯最終予選で同組になれば、西野監督が率いるタイ代表は間違いなく日本の脅威になるでしょう」と話す。

 

 かつての日本の英雄が、「最強敵」として日本を迎え撃つ。そんな筋書きが現実になる日も近い。

(週刊FLASH 2019年8月13日号)

夏の甲子園、47都道府県校「伝説の名勝負」を見よ/東日本編

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イメージ(写真・西村尚己/アフロ)

 

 1失点も許さない投手の投げ合い、まさかの逆転劇−−。2019年も高校野球の季節がやってきた。スポーツライター、甲子園マニア編集者らが集結し、過去100回の47都道府県代表による決戦から、東日本の代表校が活躍した「伝説の名勝負」を厳選してお届け!

 

【北海道】
●駒大苫小牧VS.済美(2004年決勝)/13-10
 史上6校めとなる春夏連覇を目指す済美(愛媛)と、北海道勢として初優勝を目指す駒苫の決勝。駒苫は序盤に5点を失いながらも、4回までに点を積み上げ形勢逆転。その後は互いに点を取り合う打撃戦となった。

 

 駒苫は毎回安打の20安打で、こちらも19安打と猛攻の済美に打ち勝ち、優勝旗が初めて津軽海峡を渡った。

 

【青森】
●光星学院VS.桐光学園(2012年準々決勝)/3-0
 3試合で53奪三振の松井裕樹(現・楽天)を擁する、桐光学園(神奈川)が相手。松井は毎回三振を積み上げていくが、均衡を破ったのは8回。

 

 光星学院の田村龍弘(ロッテ)と北條史也(阪神)の「3番4番コンビ」の打線が爆発。3点を奪取し、松井を粉砕した。なお、光星の投手・金沢湧紀は完封。

 

 

【秋田】
●金足農VS.近江(2018年準々決勝)/3-2
 全試合をひとりで投げてきた、金農・吉田輝星(現・日本ハム)と、近江(滋賀)の2年生投手・林優樹の好投が続き9回裏へ。

 

 1−2とリードされた金農が無死満塁で取った奇策は、まさかの2ランスクイズ。ホームに突っ込んだサヨナラのシーンは今後も語り継がれるだろう。

 

【山形】
●日大山形VS.今治西(2006年3回戦)/11-10
 お互いに点を取り合うシーソーゲーム。1回裏の4得点で日大山形が6回までリードを守っていたが、7回表に今治西(愛媛)が4点を取り逆転。8回裏に日大山形が1点を追加、8−8の同点で延長へ。

 

 13回表、今治西が2得点も、裏の攻撃で日大山形が連打と暴投で同点とし、最後は犠牲フライで劇的なサヨナラ勝ち。山形県勢初の夏の大会ベスト8に。

 

【岩手】
●花巻東VS.明豊(2009年準々決勝)/7-6
 序盤、菊池雄星(現・マリナーズ)が好投していたが、4回表に野手と激突して負傷。一気に明豊(大分)に流れが傾いた。2番手投手の猿川拓朗(日立製作所)がつかまり、8回、逆転を許す。

 

 花巻東2点ビハインドで迎えた9回表、同点に追いつき、10回表にタイムリーで勝ち越し勝利。菊池の穴を全員で埋めたナイスゲーム。

 

【宮城】
●東北VS.平安(2003年3回戦)/1-0
 中学からのライバルだったダルビッシュ有(現・カブス)と京都の平安・服部大輔の対決。2人で32三振を奪う息詰まる投手戦で、試合は0−0のまま延長戦へ。

 

 11回裏、ついに東北がヒット2本を放って1点を奪取し、サヨナラ。ダルビッシュが投げ勝った瞬間だった。

 

【福島】
●聖光学院VS.広陵(2010年2回戦)/1-0
 2年生エースの歳内宏明(現・阪神)と、広島の広陵・有原航平(現・日本ハム)の投手戦。

 

 0−0のまま迎えた7回裏、聖光学院は二死二、三塁からまさかの振り逃げで、決勝点が転がり込んだ。歳内は5安打完封。いまでは強豪の聖光学院だが、歳内が初のプロ選手(ドラフト2位)である。

 

【栃木】
●作新学院VS.柳川商(1973年1回戦)/2-1
“怪物” 江川卓(元巨人)を擁する作新に、柳川商(福岡)が取った奇策は「プッシュ打法」。すべてのバッターがバントの構えで打席に入り、バットを引く打法で江川を苦しめた。

 

 6回表、連打で柳川商は先制するが、作新は同点に追いつき延長戦へ。15回裏、本塁突入を阻止した柳川商の捕手のミットからボールがこぼれ、劇的なサヨナラとなった。

 

【茨城】
●取手二VS.PL学園(1984年決勝)/8-4
 茨城県勢初となる全国優勝を懸けて、取手二高が桑田真澄(元巨人)、清原和博(元西武)を擁する最強のPL学園(大阪)に挑んだ。

 

 取手二は9回表まで1点リードしていたが、PLが土壇場で本領を発揮。9回裏、本塁打で点となり延長戦に突入。10回表、取手二打線が4点を奪い、8−4でゲームセット。木内幸男監督のワンポイント采配も決まり、初優勝を飾った。

 

【群馬】
●前橋育英VS.常総学院(2013年準々決勝)/3-2
 常総学院(茨城)が9回裏二死までリード。“最後” の打球が二塁へ転がり、ゲーム終了と思った瞬間、ボールがイレギュラーに。そこから前橋育英の反撃が始まる。

 

 長打でチャンスを広げ、高橋光成(現・西武)が同点タイムリーを放つ。勢いそのままに10回裏、一死二、三塁からサヨナラ適時打が生まれた。前橋育英は今大会で優勝を飾った。

夏の甲子園、47都道府県校「伝説の名勝負」を見よ/西日本編

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イメージ(写真・西村尚己/アフロ)

 

 1失点も許さない投手の投げ合い、まさかの逆転劇−−。2019年も高校野球の季節がやってきた。スポーツライター、甲子園マニア編集者らが集結し、過去100回の47都道府県代表による決戦から、西日本の代表校が活躍した「伝説の名勝負」を厳選してお届け!

 

【岐阜】
●大垣日大VS.藤代(2014年1回戦)/12-10
 初回、藤代(茨城)に打者一巡の8点を奪われるも、その裏に4点を返す大垣日大。その後、両チームは得点を重ね、5回終了時で5-10に。

 

 6回裏、相手のミスなどから1点を挙げると、流れは一気に大垣日大へ。7、8回裏に各3点を挙げ12-10と逆転した。8点差の大逆転劇は、1997年の市立船橋(千葉)対文徳(熊本)以来2試合め。

 

 

【愛知】
●東邦VS.八戸学院光星(2016年2回戦)/10-9
 1年時から注目された、東邦の投手で4番の藤嶋健人(現・中日)最後の夏。序盤から東邦は失点を重ね、7回表終了時点で2-9。

 

 だが7回裏に2点、8回裏に1点を返すと、甲子園全体が東邦を応援してタオルを回す異様なムードに。9回裏、雰囲気にのまれた八戸学院光星(青森)は5失点し、敗北。応援方法が物議を醸す一戦に。

 

【滋賀】
●八幡商VS.帝京(2011年2回戦)/5-3
 帝京(東京)の2年生エース・渡邉隆太郎が、八幡商打線を8回まで散発2安打に抑え、好投していた。

 

 迎えた9回表、八幡商打線が猛反撃を開始。一死から3連打で1点を返し、なお満塁のチャンス。チーム一の強打者・5番の遠藤和哉が、3ボール2ストライクからライトのポール際へ逆転満塁ホームランを放ち、勝利した。

 

【三重】
●三重VS.大阪松蔭(2014年決勝)/3-4
 三重は強豪・大阪桐蔭相手に6回まで1点リードしていたが、7回裏に、二死満塁から2点タイムリーを打たれ、逆転を許す。
9回表の攻撃では、一死一、二塁、ワンヒットで同点のチャンスを作ったが、無得点に終わり試合終了。

 

 優勝のお立ち台で、大阪桐蔭の福島孝輔投手(現・Honda鈴鹿)は「相手が強くて苦しかった」と語った。

 

【京都】
●京都商VS.報徳学園(1981年決勝)/0-2
 近畿勢同士の対決となった決勝戦。京都商の「小さな大投手」井口和人(元トヨタ自動車)は、本大会3回戦から準決勝まで3試合連続完封。決勝では、報徳学園(兵庫)の4番でエース・金村義明(元近鉄)との投手戦となった。

 

 井口は粘り強い投球で報徳学園打線を抑えていたが、スクイズと、外野手のタイムリーエラーで2点を失い、惜敗した。

 

【奈良】
●天理VS.松山商(1986年決勝)/3-2
 伊良部秀輝(元ロッテ)、長谷川滋利(元オリックス)ら好投手が揃った1986年夏。天理のエース・本橋雅央は右肘を痛めていたため、注射を2本打って決勝の松山商(愛媛)戦に挑んだ。

 

 1点リードの9回裏、一打同点のピンチを招くも、最後の打者を三塁ゴロに仕留め、奈良県勢初の優勝を飾った。

 

【兵庫】
●東洋大姫路VS.東邦(1977年決勝)/4-1
 東洋大姫路が、史上初となる決勝サヨナラ本塁打で初優勝を飾った試合。東洋大姫路の松本正志(元阪急)と、東邦(愛知)の1年生エース「バンビ坂本」こと坂本佳一(元日本鋼管)の投手戦となった。

 

 1−1で迎えた延長10回裏、東洋大姫路の4番・安井浩二が二死一、二塁から、バンビ坂本のストレートを右翼ラッキーゾーンに叩き込み、劇的な勝利を収めた。

 

【大阪】
 PLの2試合をどちらも推薦者が譲らず、ダブル掲載となった。

 

●その1:PL学園VS.中京(1978年準決勝)/5-4
 1978年の準決勝は中京(愛知)が中盤から点を重ね、9回表で4点リードしていたが、裏の攻撃でPL打線が爆発。5本の長短打で同点に追いつき延長12回裏、二死満塁として、最後は押し出し四球で劇的なサヨナラ勝ち。

 

 以降、点差が開いていても終盤でひっくり返す「逆転のPL」と恐れられるように。

 

●その2:PL学園VS.池田(1983年準決勝)/7-0
 そして1983年の準決勝は、桑田真澄・清原和博の1年生コンビが、チームの中心に。この年の池田(徳島)は、1982年夏、1983年春に続く夏春夏の3連覇がかかっていた。圧倒的な前評判の池田「やまびこ打線」を桑田が完封した。

 

【和歌山】
●箕島VS.星稜(1979年3回戦)/4-3
「高校野球史上最高のゲーム」との声も多い一戦。互いに同じ回に点を取り合う大接戦。延長12回に星稜(石川)が1点を勝ち越せば、箕島が本塁打で追いつく。

 

 箕島は16回にも、本塁打で同点にする奇跡を起こす。さらに18回裏、箕島の上野敬三(元巨人)がサヨナラタイムリーを放ちゲームセット。視聴率は30.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した。


日大アメフト部「悪質タックル」コーチが日雇い派遣師に転身

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「××さん、ナンバー〇〇-〇〇の車に乗ってください!」

 

 8月上旬のある暑い朝、ひときわガタイのいい男の、テキパキした指示が飛んでいた。会社前で運転手に指示を出すその男は、労働者たちとにこやかに談笑していた。

 

 時間は、朝6時30分。関西のとある事業所に、続々と集結するトラックやワゴン車。男の指示に従い、労働者たちが車に乗り込み、現場へ向かう。男は建築・土木・解体現場に労働者を派遣する “番頭” 役のようだ。

 

 

 日大アメフト部のコーチだった井上奨氏(30)は、日雇い労働者の人材派遣などを手がける企業で、「派遣師」として華麗なる転身を遂げていたのだ。井上氏に声をかけると、笑みを浮かべてこう答えた。

 

「ちょっと待っててください。これからみんなを、車に乗せていかんとあかんので。また戻ってきますから」

 

 みずからワゴン車のハンドルを握り、現場へと消えていく。30分後、言葉どおりに戻ってくると、「暑いですね。待たせてすいません」と、記者を気遣いながら、語り始めた。

 

「日大を解雇されて、去年の9月に地元の関西に戻ったんです。これからどうしようかと考えていたとき、『もう1回、うちでイチからやり直さへんか』と、いま勤めている会社に誘っていただいたんです」

 

 この日をさかのぼること2週間前、スーツにネクタイを締めた井上氏の姿が、東京地検立川支部にあった。

 

 関東学生アメリカンフットボール連盟は、“悪質タックル” を指示したとして、内田正人・前日大監督(63)と井上氏を除名。日大も第三者委員会の報告を受けて、2人を懲戒解雇した。

 

 一方、警視庁は2019年2月、タックルをした宮川泰介選手に対して、「2人が傷害を意図する指示をした事実は認められない」との捜査結果を、東京地検立川支部に送付している。

 

 2つの正反対の “処分” が出ているわけだ。司法担当記者が、この事情を解説する。

 

「じつは第三者委のヒアリングと、その後の警視庁の聞き取りで、食い違う点が多く、まだ検察の捜査が続いている。だが最終的には、2人は不起訴処分とされる見込みだ」

 

 地検立川支部で直撃したときは、多くを語らなかった井上氏。だが今回、率直な気持ちを明かしてくれた。

 

「第三者委は2時間、連盟は3時間。たった1回、ヒアリングに呼ばれただけ。警察の聞き取りは、1カ月間毎日、丸1日やる。携帯の中身まで調べられて、しんどかった。でも、それぐらい徹底的にやってくれないと。人の人生を決めることなんですから」

 

 内田前監督とは、いまでも連絡を取り合っている。

 

「たまに『おーい元気か?』と電話がかかってきます。『〇〇(選手名)はどうしてる?』と聞いてきますが、『監督、もう僕もフェニックス(日大アメフト部)じゃないんで』と返しています。本当に短い会話です(笑)」

 

 労働者に指示を出し、現場をまわすさまは、まるでアメフトで指揮を執る姿のようだ。

 

–アメフトへの未練は?

 

「検察の処分も決まっていない状態で、フットボールについて、軽々しく言えません。現場の労働って、本当にしんどい。だから、僕のキャラクターでそれを忘れさせたい。いまは第二の人生という気持ち。こう見えて僕まだ30歳なんで(笑)」

(週刊FLASH 2019年8月20・27日号)

男・山根明、ボクシング新団体設立宣言「この子に賭ける!」

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「リングに上がるのは、1年2カ月ぶりやな」

 

 その男は慣れた様子でロープをくぐった−−。

 

 7月27日、大阪府豊中市のボクシングジムに現われたのは、日本ボクシング連盟・前終身会長の山根明氏(79)だ。2018年8月、過去の暴力団との関係などを問われ、会長を辞任。2019年2月には除名処分が決まり「永久追放」となった。

 

 

 その山根氏が、自身が代表を務めるプロボクシングの新団体を設立するというのだ。新団体の名称は「WYBC(ワールド・ヤマネ・ボクシング・チャンピオンシップ)」。おのれの名前を冠にした独立団体として、復活の狼煙を上げる。

 

「本当はボクシングの『ボ』の字を聞くのも嫌やった。もう、アマチュアボクシングの人間関係には嫌気がさした。騒動のときは、自殺する寸前までいった。女房にも、これ以上ボクシングに関わることは止められてたんです。

 

 でもね、高橋君という新鮮な子と出会って、若い世代に教育の一環として、ボクシングを指導することは必要じゃないかと。『そのために、独立団体を立ち上げることはできる』と思いました。新団体の設立は幸せなことです。『神がおったな』と思います」

 

「高橋君」とは、タイ発祥のプロボクシング「WSCS」世界ヘビー級で、日本人では唯一のチャンピオンである高橋知哉(31、BONECRASH所属)のことだ。

 

 WSCSはリングが4メートル四方と狭いが、れっきとしたボクシング団体。WYBCも同様の団体になる。9月に予定される旗揚げ戦では、高橋がWYBCのタイトルをかけ、ブラジルの同様の団体「WNFC」との世界統一戦をおこなう。

 

 旗揚げ戦に出場する高橋は、山根氏の心意気を感じている。

 

「日本ではマイナーなヘビー級で世界に挑戦できるのは、山根会長がこの団体を立ち上げてくれるから。9月の統一戦を、会長の復活の日にしたい」

 

 2018年の辞任騒動では、山根氏に対する地方団体の、過剰に豪華な待遇も話題になった。だが新団体は、質素な事務所からスタートさせるという。

 

「電話1本と、ちょこっと椅子があったらいいんです。カッコつける必要はない。

 

 教えるのはボクシングだけじゃない。ちゃんと生活できて、家庭も安定させる。結婚して子供の親として仕事もせんならん。人とのつき合いもある。そういうことを若い世代に教える。あとは僕から盗み取ったらいいです」

 

 連盟を “追われた” 山根氏は現在、テレビのバラエティ番組に出演するなど、タレントとしての顔も見せている。

 

「テレビは、行くたびに勉強です。僕のやりやすいようにしていただいて、感謝しています。今後も、オファーがあれば出ます。団体の宣伝もしないとな」

 

 10月には、80歳を迎える山根氏。「あと10年生きるつもりが、新団体設立で20年に延びた」と意気軒高だ。

 

「僕が死んだ後でも、いつかこの新団体からオリンピック選手が生まれたら、『男・山根』が本当に歴史になる、と思いました。残りの人生をこの団体で、高橋君ら若い世代に賭けるよ。僕の名前を、後世にきちっと残してほしいと思います」

 

 リングに本気の「男」が戻ってくる。

写真・谷本潤一

 

(週刊FLASH 2019年8月20・27日号)

月間MVP「オリックス吉田正尚」力の源は美人妻の「手羽先餃子」

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「アイツのフルスイング見ました? あれはヤバい!」

 

 あるとき、ソフトバンクの主砲・柳田悠岐(30)が、番記者に語った。以前、横浜スタジアムのバックスクリーンを打球で破壊した、パワー自慢の柳田が驚愕するのだから、そのヤバさは規格外だ。

 

 そのアイツとは、2016年に入団したオリックス・バファローズの吉田正尚(26)。173cmと、プロ野球選手としては小柄。怪我で出場試合数が全日程の半分にも満たない年がありながらも、本塁打数は毎年二桁をマーク。2018年には、念願のフル出場を果たし、「26本塁打」と主力としての礎を築いた。

 

 

 本人はこう語る。

 

「柳田さんの発言は、リップサービスですよ(笑)。実績を残してきた方の言葉なので嬉しい。でも、その柳田さんを超えないとタイトルは獲れないし、プロである以上、魅力ある選手にならなくてはいけない。

 

 たとえば大差で負けていても『吉田の最後の打席だけは見て帰りたい』と言ってもらえる選手になること、1打席も無駄にしないことが目標です」  

 

 その思いは、今季の成績に繫がっている。打撃3部門で上位に顔を出し、オールスターの「ホームランダービー」では4スイング連発で、ファンの度肝を抜いた。激しい寒暖差で体調を崩しそうだった7月も、打率.357、7本塁打、21打点を記録し、月間MVPに輝いた。

 

 活躍の裏には、2018年10月に結婚した妻・ゆり香さん(27)の存在がある。彼女は管理栄養士であり、その資格を生かした、会社経営者でもある。

 

「野球選手としては、食が細いほうなんです。自宅で夕食が摂れるときは、朝に体調を妻に相談すると、それに合った食事を作ってくれています。

 

 疲れが取れないとき、遠征が続いたときならビタミン系を多くするとか、消化にいいものとか、すごく考えて作ってくれる。お気に入り? なんでもおいしいですよ(笑)。

 

 でも、いちばんは、(手羽先に餃子の餡をつめた)手羽先餃子。ニンニクがきいた料理が好きなので。夏場でも好調を維持できているのは、妻のおかげ。手羽先餃子がパワー、フルスイングの源になっています」

 

 今季開幕前には、侍ジャパンの主軸をまかされた吉田は、探究心の塊だ。2016年オフには、「どうしても教えを受けたかった」と、ハンマー投げの室伏広治(44)にダメ元で直筆の手紙を送付。熱意が認められ、2017年1月から始まった指導は、2019年で3年めとなった。

 

「『もっとよくなるには、体幹の強化が必要だ』と感じ、お願いしました。室伏さんは金メダリストであり、(東京医科歯科大の)教授でもあって、感覚的な話も、理論的な話もできる。しかも実践してくれる。すべてを兼ね備えています。徐々にではありますが、体の強化を実感しているところです」

 

 2019年、吉田には「30本塁打をクリアしたい」という明確な目標がある。なぜなら、2019年から認定NPO法人「国境なき子どもたち」に、本塁打1本につき10万円を寄付すると決めたからだ。

 

「きっかけは、昨年12月に参加したイベントで、『世界には、まだつらい思いをしている子供たちが多くいる』と知ったことです。最初に言った『観客を魅了するため』に加えて、子供たちのためにも、僕は1打席も無駄にできないんです」

 

 心優しき “小さな巨人” は、今日もフルスイングを志している。

 

よしだまさたか
1993年7月15日生まれ 福井県出身 ドラフト1位で、2016年に青山学院大学からオリックスに入団。2018年にベストナイン

 

(週刊FLASH 2019年8月20・27日号)

甲子園名監督が語る「老害」と呼ばれない「現代っ子」操縦術

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イメージ(写真・AC)

 

 今大会で101回めを迎え、新たな歴史を刻む夏の甲子園。令和の時代を迎え、高校野球はどこへ向かうのか? いまどきの高校生との接し方は? 甲子園優勝5回の横浜・渡辺元智前監督と、優勝3回の智辯和歌山・高嶋仁前監督が語り尽くす。

 

 

−−まずは、お互いの印象をお聞かせください。

 

高嶋「横浜も最初から強かったわけじゃない。渡辺さんは、やんちゃな子を預かり、監督になってから教員免許を取りに行ったりしながら、イチからチームを作った。苦労してますよね。

 

 それが采配にも出ている気がします。試合の中で出しゃばらないし、確実に勝つ野球をしますよね」

 

渡辺「よく見てますね(笑)。高嶋さんは昨年まで監督をされてましたけど、執念とか根性とか、今失われている昔のフレーズが残っている数少ない指導者だったと思います。

 

(参加校の少ない)和歌山だから、甲子園に数多く出られると言う人がいますけど、そうじゃない。監督の器が大きくなかったらできません」

 

−−監督に就任されたのは、渡辺さんが1968年、高嶋さんが1972年。当時はスパルタで、鉄拳制裁が当たり前の時代。2人とも厳しい指導で有名です。

 

高嶋「厳しく怒ったときは、その子が自宅に帰る前に車で先に行って、親に『今日はこういう指導をしました』とはっきり言うんです。『それをアカンと思うなら、どうぞ学校に言ってください。いつでもクビになります』と。

 

 そう言われたら親は、『うちの子が言うこと聞かんからや。もっと指導してくれ』となる。選手は親から聞いて『監督は来てくれたんや。この監督は信用できる』となるんです」

 

渡辺「よく似てますよ。当時の横浜はやんちゃな子の集まりでしたから、厳しく指導しました。そんなときは、どんな遠い所でもまず家に行きましたよ。親には『この子が悪いから叱るんだ』と言います。

 

 ただ同時に、『期待してるから、よくしてやろうと思うから叱るんだ』と言うと理解してくれる。昔は “愛のムチ” があった。でもそれは、信念があるからできるんです」

 

−−時代が変わり、指導法も変化していきます。どのような工夫をされましたか?

 

渡辺「ショートメールはしょっちゅう打ってますよ。威厳を出して、近寄り難い雰囲気を与えていたので、選手は胸の内を明かさない。ところが、メールを打つと返ってくるんです。

 

 典型的な例が涌井(秀章、現ロッテ)ですよ。2年の秋、横浜隼人に負けて、あまりにもふがいないので『お前なんかやめろ』と言ったら、もう口をきかない(笑)。

 

 これではいかんと思って、『松坂(大輔、現中日)の後のエースになってもらいたい。お前しかいない』と送ったら、すぐに返ってきた。こんなに早くかというぐらい(笑)。次の日に会ったら、『夏に向かって頑張ります』と」

 

高嶋「昔と違い、今の子は怒られ慣れていないですよね。頭ごなしに言ったらふて腐れる。こちらも、そういうつもりで接していかないといけません。

 

 たとえば、何か問題があったとき、呼んで話をしますよね。そのとき、選手に全部言わせるんです。途中で『それは違うやろ』とか口を挟むと、絶対本音を言わなくなる。聞くだけ聞いて、その日は終わるんです。

 

 で、次の日にまた呼んで、『俺もひと晩考えたんやけど、こう思うんやけどな』という言い方をする。そうすると、選手は「監督は考えてくれたんや」となるんです。

 

 言いたいことは言わせる。ワンクッション置く。これは心がけてましたね。こちらの気持ちをそのまま出してしまったら、選手はやっぱりついてこないです」

 

渡辺「信頼関係を築かない限り、いくらアドバイスをしても聞きません。うわべだけの愛情では、彼らは心を開かない。絆があって、初めて愛情が生きてくるんですよね」

 

高嶋「『この子には甘い言葉、この子は怒ったほうがいい』というのは、人によって違います。ふだんから観察して、性格を把握して考えて言う。アメとムチをどう使うか。それは、試合中とは違う監督の手腕。これは年の功でしょうね」

3位に終わった「渋野日向子」怒涛のお菓子注入で頑張れ~

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5月の帰省時にも駄菓子屋へ

 

 8月18日、女子ゴルフのNEC軽井沢72トーナメントが終了した。全英オープンでメジャー制覇した渋野日向子選手は、惜しくも優勝を逃し、3位にとどまった。

 

 試合後の会見では、「最後の最後で台無しにしてしまったのがちょっと悔しいです。ほんとに情けないなと思います。しっかり今日も、攻めの、自分のプレイができていたので、これからもそのプレイをできるように。皆さんに楽しんでもらえるようなプレイができるように頑張ります」と語っていた。

 

 

 42年ぶりのメジャー制覇をはたした渋野は、国内外で人気沸騰中。思い切りのいいプレースタイルと無邪気な笑顔でお茶の間を虜にし、海外メディアからは「スマイルシンデレラ」と称賛されている。

 

 そんな渋野が、笑顔とともに話題になったのは、試合の休憩中にお菓子を食べる姿だ。全英オープン優勝後の会見では「お菓子をいっぱい食べたい」と話し、渋野が食べていた駄菓子「タラタラしてんじゃね~よ」は各地で売り切れが続出した。

 

 8月18日放送の『ジャンクSPORTS』(フジテレビ系)では、「プレー中に食べたいお菓子ベスト3」を聞かれ、「グミ。クッキーはパサパサするから(ダメ)。あと昆布とビーフジャーキーと……。いや、3つ選べないです」と困り顔に。番組から忍者メシグミを差し入れされると、「私、これいつも食べてます! 全英(オープン)のときも食べてました」と満面の笑みを浮かべていた。

 

 だが、注目を浴びすぎて、「タラタラしてんじゃね~よ」は封印したという。

 8月16日の会見で「タラタラしてんじゃね~よ」について、「あれだけ取り上げられると食べづらいじゃないですか。コースには持ってきてないです。今日は『ハイチュウ』食べました。あんまり食べるとシャッター押されるから、好きなときに食べられなくて、おなかすいて困っちゃいますね。我慢できなくなったら食べます」と答えていた。

 

 実際、今回の軽井沢トーナメントでは、「激辛焼きかまソーメン」という、魚肉のすり身に唐辛子などを混ぜた細長い駄菓子を食べる姿が目撃されていた。

 

 そんな渋野のお菓子好きは筋金入りで、昔から地元の駄菓子屋さんにもよく通っていた。地元の駄菓子屋の店主・坪井広美さんが、本誌取材に対し、小学校時代の渋野の素顔を語ってくれた。

 

「健康的で、昔からいい笑顔しとったよ。お母さんから『笑顔が大事』って育てられたみたい。あと、会見でもきちんと話して対応できている。頭がいいんよ。それに物おじしない、無邪気な子やね。あんなに試合で1位や2位を争ってるとき、普通は笑顔なんて出せないし、お菓子も食べられないでしょ。並大抵のことじゃない。

 

 小さいときからゴルフして、ソフトボールもして、遊ぶ間もなかったと思うよ。おもしろかったのは、小学校3年か4年のときに、東京に行ったことを話してくれて。『東京は人がいっぱいだし、行くところじゃない。岡山がええ』って(笑)」

 

 全英オープンから3週連続で大会に出場していた渋野だが、次週は欠場し、地元・岡山で静養するという。怒涛の日々を乗り越えた今、地元でお菓子を食べながら、しばしのんびりしてほしい。

アメリカの球場で開かれた「ジャパン祭」選手は楽しめず残念

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 8月18日、アメリカ・カリフォルニア州にあるサンノゼ・エキサイト球場で、日本文化を讃えるジャパニーズ・ヘリテージナイトが開催された。

 

 サンノゼ市は、サンフランシスコから車で1時間ほど南下した場所にある。市内のジャパンタウンが州から歴史地区として指定されるなど、日本とのつながりは深い。

 

 今回で8回目となるこのイベントを主催したのは、サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下で、マイナーリーグに属する「サンノゼ・ジャイアンツ」だ。

 

 

 宇山智哉・サンフランシスコ日本総領事が始球式を務めたあと、浴衣姿のコーラス隊「かけはし」が、日米の旗を広げて2つの国家を斉唱。観客も選手も直立で、右手を胸にあてたポーズで耳を傾け、両国に敬意を表した。

 

 会場では和太鼓やサムライ演舞、コーラス、ダンス等が披露され、たこ焼きやかき氷などの和食も出店されていた。イベントの合間にはJ-POPを流す配慮も。

 

 このイベントのために、赤い日の丸の中に大きな漢字で「巨人」と書かれた特製Tシャツが用意され、先着500名に配布されていた。これは大好評で、さっそく着替えて観戦する家族連れの姿もあった。

 

 サンノゼ・ジャイアンツは、多種多様な文化を讃え、伝承するのを目的として、今年は8つのヘリテージナイトを企画している。日本はそのうちの1つだ。

 

 すでにイタリアンが開催されており、今後、アイリッシュ(アイルランド)、ハワイアン、ギリシャ、シーク教徒(インド)、ヒスパニック(ラテンアメリカ)のイベントが順次開催される予定となっている。

 

 だが、こうした目的とは裏腹に、意外なトラブルが起きるのがアメリカだ。

 

 実は、昨年、鉢巻や三角笠をかぶったハッピ姿でイベントを楽しむ選手の写真をチームがSNSに載せたところ、人種差別的で好ましくないとの声がファンからあがり、チームが削除・謝罪する事態となった。

 

 その影響か、ユニフォーム姿の選手は、イベント最中に離れた場所でウォームアップするのみ。試合開始直前、日本語補習校の子供達と一緒にポジションにつく以外、日本人グループと目立った交流はなかった。

 

 実はこれ、最近、アメリカで強く主張される「文化の盗用」の問題。自分と関係のないよその文化を私物化してはいけないという批判のことだ。日本人にとってはややわかりにくいが、タレントのキム・カーダシアンが、自身の下着ブランドに「KIMONO」と名付けて批判を浴びたのもその一環である。

 

 さらに、トランプ政権下で、誰もが人種問題に敏感になっていることも大きいだろう。

 

 会場では、チームマスコットのギガンテが、大きな頭に必勝と書かれた鉢巻を上下逆さまに巻いてイベントを盛り上げていたが、日本人からすると、アメリカにもちょっと堅苦しい部分があるのだ。(写真・文/白戸京子)

クロマティに暴かれた!巨人「原お友達内閣」は無能すぎ

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写真:AP/アフロ

 

 独走優勝も見えていたが、猛暑の8月に入って足踏みが続いた巨人。その最大の原因は「打てない」ことだった。なかでも4番の岡本和真(23)は、オールスター後から8月4日までの18試合で、本塁打が3本のみ、と深刻な状態。

 

「昨年、3割30本を達成して大ブレイクした岡本は “二年めのジンクス” を感じていたようだ。野球にストイックで練習量も豊富だが、考え込むタイプ。悩んでいるときに、人を寄せつけない雰囲気を醸し出すこともマイナスに作用した」(スポーツ紙デスク)

 

 

 この若き主砲にアメリカから救世主が現われた。それは現役時代に原辰徳監督(61)とクリーンアップを組み、巨人史上最高の助っ人と称された、「クロウ」ことウォーレン・クロマティ(65)だ。7月下旬に来日し、原監督の要請で、外国人や若手選手を “臨時コーチ” として指導していた。

 

 8月6日、前の試合でチームは2位横浜に敗れ、7月15日時点で最大10.5あったゲーム差が0.5に。だが、この日の試合前にクロマティが熱心に指導していたのが、岡本だった。

 

「クロウの指導には、メジャーのエッセンスがある。いい打撃には『OK!』を連発。お尻を叩いてスキンシップを図るなど、堅苦しくない。

 

 打撃投手の球を打つとき、『ノーアウト一塁』『ワンアウト二塁』など、あらゆる場面を想定しての打撃を要求していたが、アドバイス自体は『スタンスが広すぎるし、左肩が開くのが早すぎる』『早いカウントから積極的に』と単純なものだったんです」(巨人番記者)

 

 だが、効果はすぐに現われた。翌7日に2安打、8日には本塁打が飛び出す。極めつきは9日、ヤクルトに0-7と大差をつけられた展開から、岡本の本塁打2連発で大逆転勝利。クロマティの指導から8月18日までの12試合で5本塁打と、岡村は完全復活し、巨人が再び首位独走態勢を整えたのだった。

 

 現在、巨人の一軍打撃コーチ陣、元木大介コーチ(55)、吉村禎章コーチ(56)、後藤孝志コーチ(50)の3人は、宮本和知・投手コーチ(48)とともに “お友達内閣” と揶揄されていた。
そして、クロマティの “チョイ指導” による岡本の復活で、常駐の「原お友達コーチ陣」の無能ぶりが、完全に露呈した。

 

「バランスよくまわっているという評価だったんですけどね……。吉村コーチは、基礎はしっかりしているが “天才型” なので、言い回しが伝わりにくい。

 

 でも、後藤コーチがそこを補って、わかりやすく指導できる。元木コーチは兄貴分的存在。選手をよく食事に誘って、悩み事を聞いてはいます」(同前)

 

 だが、現状に黙っていられない選手の声も聞こえてくる。

 

「クロウの指導ぶりを見た選手からは、さすがに『今のコーチ陣じゃ、岡本を復活させられなかった』という嘆きが漏れています」(巨人関係者)

 

 そうなると、今季オフにもクロマティの “追加入閣” があり得るのか?

 

「それはないでしょう。クロウは巨人の功労者であり、今回も要請を受けての臨時指導ですが、あくまで起爆剤。1年を通してとなると……。

 

 日本語も細かいところは話せないし、そういった面を見て『いきなり入れると和が乱れる』と原監督は判断している。なによりも、原監督は『和』を大切にしますからね」(同前)

 

“チョイ” で岡本を救った大物も、“お友達” にはしてもらえないようだ。

 

(週刊FLASH 2019年9月3日号)


八村塁の素顔は、誰にでも愛される「ただのアホ(笑)」

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 いま、男子バスケットが激アツだ。8月31日に中国で開幕するワールドカップに向け、強化試合は満員御礼。観客のお目当ては、6月のNBAドラフトで日本人初の1巡目指名を受けた、八村塁(21)。

 

 初の凱旋試合となった、8月12日のニュージーランド代表戦では、両チーム最多の35得点を挙げた。格の違いを見せつけたが、試合結果に一喜一憂しない態度でも、大物ぶりを発揮。

 

 14日の第2戦では19得点と、得点率・シュート成功率ともに第1戦に及ばなかったが、「まったく問題ない」と意に介さず。メディア対応はわずか3分と、報道陣を振り切るように退出した。加えてファンに対しても、ゴルフの全英女王・渋野日向子(20)のようなハイタッチもない “塩対応” だった。

 

 

 一方、Bリーグ初の1億円プレーヤーとなった富樫勇樹(26)は、彼の偉業を絶賛する。

 

「NBAに入る選手はいても、1巡目で指名される日本人は一生出ないと思っていた。NBAに入るだけより100倍大変」

 

 一方、コートを離れた八村の素顔についてはこう明かす。

 

「ただのアホ(笑)! 『誰にでも愛される』という意味でですよ。みんなと考えがずれてるときもあるしね。アメリカに行ってからバスケはうまくなったけど、日本語がへんになったと、イジられてます(笑)」

 

 その素顔、ファンにも見せてほしい!

 

(週刊FLASH 2019年9月3日号)

もはや脇役…松山英樹は「渋野日向子」に学べばいいのに

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小学6年、ソフトボールチームでエース時代の渋野

 

「彼女は日本の新しいスター。韓国勢のライバルになる」

 

 米ツアー通算25勝を挙げた韓国女子の “レジェンド” 朴セリ(41)が、こう絶賛するように、いまや日本のゴルフ界のど真ん中にいるのが、渋野日向子(20)だ。

 

 8月5日、渋野は日本人として樋口久子以来42年ぶりとなる、メジャー制覇を達成。凱旋2試合は、まさに “シブコ・フィーバー” 一色だった。

 

 

 一方、すっかり脇役に追いやられたのが、かつてのスター松山英樹(27)。日本人選手で、もっともメジャー制覇に近いといわれ、日本男子では世界選手権2勝を含む米ツアー5勝を挙げながら、いまだ目標のメジャー制覇には至っていない。さらに7月の全英では、2年連続予選落ちという屈辱を味わっている。

 

 期待されながら優勝に届かない松山と、まったくのノーマークながら快挙達成の渋野。2人の違いを、日本ゴルフジャーナリスト協会顧問の菅野徳雄氏が解説する。

 

「まず、コーチの有無が挙げられる。なぜか松山は、ここまでプロのコーチをつけず、父親やアマ時代の関係者に教えを請うている。それではプロの世界では生きていけない。

 

 コーチというのは教わるだけではなく、一緒に築き上げていく存在。自分の鏡になってくれる人じゃないといけない。アマのコーチでは、自分の姿が見えない」

 

 対して渋野は、2年前から青木翔コーチ(36)の指導を受け、プロテストに合格。全英では青木コーチがキャディを務めるなど、二人三脚で頂点まで上りつめた。

 

「また松山は、他人と交わることが苦手のようで、ほかの選手に教えを請うこともしない。

 

 樋口プロは全米を制する直前、深刻なパットのイップスに陥っていた。そこで、米男子のパットの名手、トミー・ジェイコブスに指導を頼み込んだ。それでイップスは直り、メジャー制覇に繋がった。

 

 松山には、もっと一流選手と交流して、いろんな情報を収集してほしい。かつての名手は皆、教わり魔だった」

 

 渋野がいいものを取り入れることに貪欲だったことを、小学生時代に所属していたソフトボールチームの岩道博志監督が語ってくれた。

 

「当時から天真爛漫で、あの笑顔と人を引きつける魅力は天性だね。男女混合チームで、練習も男女関係ありませんでした。厳しい練習にも、くじけたりすることはなかった。

 

 そのなかで、『どうしてストライクが入らないのだろう』と自分で研究し、考えていた。こちらのアドバイスも聞いて、いいものはどんどん取り入れる素直さもあった。

 

 当時、日本代表エースの上野由岐子のビデオを何度も繰り返し見ていたことが忘れられません」

 

 菅野氏は「プレースピード、思い切りのよさにも決定的な違いがある」とも指摘する。

 

「松山は決断力がないのか、プレーが遅い。これでは観ているギャラリーもイライラしてしまう。アグレッシブさがないので、一緒にまわる選手にプレッシャーを与えることもできない。パットにしても、『入れてやる!』といった気迫が感じられないしね。

 

 一方の渋野は、プレースピードは速いし、全英の12番でのワンオン狙い、18番の強めのパットでもわかるように、思い切りのよさがある。あのパットは外れれば、何メートルオーバーしたかわからないほどの強さだった。

 

 飛距離も出るし、スイングも素晴らしい。それは体幹の強さがあってのこと。岡本綾子プロがそうだったように、ソフトボールを経験したことが生きているんだろう」

 

 メジャーで勝つための要素を、メジャー初挑戦の20歳が教えてくれた気がしてならない。

全試合で最速150km超「星稜・奥川恭伸」防御率0.00実現するか

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 8月22日、履正社と星稜による、夏の甲子園の決勝戦が開催される。両校は2019年春のセンバツ1回戦で対戦しており、星稜の奥川恭伸投手が履正社を完封し、3-0で勝利。今回の決勝で履正社のリベンジなるか、星稜がまたも完封勝利するのか、大きく注目が集まっている。

 

 8月21日の『日刊スポーツ』によれば、奥川は報道陣に対し、こう語ったという。

 

 

「万全ではないけど、十分に投げられる状態で明日(22日)に向かえると思います。持っているものをすべて出さないと抑えられる相手じゃない。2年半の集大成を表現できたらいいと思う。春とは全然別のチームになっている。同じ印象を残して投げたら打たれる」

 

 奥川は、今大会でこれまで自責点は0点。つまり防御率は0.00と驚異的な数字を出している。夏の甲子園で、自責点0点のまま優勝した投手は、1937年の野口二郎、1939年の嶋清一、1948年の福嶋一雄など7人のみ。もし奥川が決勝戦でも自責点を0点に抑えれば、1971年の大塚喜代美(桐蔭学園)以来、48年ぶりの快挙となる。

 

 2018年の甲子園から今大会まで含めた通算成績では、奥川の防御率は1.15。この数字は、歴代の有力選手の甲子園通算成績(防御率)と比べてみると、相当に低いことがわかる。

 

〇田中将大:2.07(駒大苫小牧)
〇斎藤佑樹:1.86(早実)
〇島袋洋奨:1.63(興南)
〇桑田真澄:1.55(PL)
〇松坂大輔:1.00(横浜)
〇江川卓:0.46(作新学院)

 

 かつて0点台の防御率を誇った江川も、奥川には注目している。

 

 8月18日の『Going!』(日本テレビ系)で、奥川について「スライダー、ストレートも素晴らしい。一番すごいのはフォークボールですね。バッターの方まで来てから落ちる。このフォークを持っていると、上の段階にいってもすごく通用する。このボールを投げることによって、ストレートもより生きてくる。かなりの活躍がこれからあるなと思う」とコメントしている。

 

 本誌スポーツ担当記者も、防御率0.00に向けて期待をかけた。

 

「もともと140キロ台中盤の球を投げる選手でしたが、今年はさらに速くなっている。今年の甲子園では、全試合で最速150キロ台前半をたたき出しました。

 

 投球も常に安定していて、体の強さを感じます。スライダーやフォークなど、変化球のキレは抜群。ここまでくると、どうしても防御率0.00の快挙を期待します」

 

 決勝は14時開始予定。はたして、防御率0.00で優勝できるのか。

篠原信一「世界柔道」で最強日本は「金8個、確実!」

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 東京五輪が1年後に迫るなか、8月25日に「世界柔道」が日本武道館で幕を開ける。本番と同じ会場でおこなわれる、五輪の前哨戦。その激戦を見逃すわけにはいかない。

 

 そこで、2000年シドニー五輪100キロ超級決勝で “世紀の大誤審” に泣いた、元男子日本代表監督・篠原信一氏(46)に見どころを聞くと、「個人戦だけで金は8つ獲れる」と威勢のいい宣言が飛び出した!

 

 

「見どころは世界中の選手が、目の色を変えて挑んでくること。ほかの国際大会、たとえば『柔道グランプリ』や『柔道グランドスラム』と違って、世界柔道で優勝すれば、世界王者の称号が与えられるからな。ここで勝てば、東京五輪を前に、海外のライバルにプレッシャーもかけられる」

 

 もうひとつ、階級によっては、複数の日本人選手が出場することも見どころだ。

 

「ここでの成績が、東京五輪代表の “選考レース” にかなり影響してくることは間違いないな。たとえば、2人が出場する男子66kg級。阿部一二三は2018年世界柔道覇者だけど、直近の直接対決2戦では丸山城志郎が勝っている。

 

 こういう選手たちは、世界の前に『日本のライバル』との、もうひとつの戦いがあるわけだ。それだけに阿部は燃えるし、丸山も『また返り討ちに』という思いが強いな。

 

 ほかにも男子60kg級、女子52kg級、女子78kg超級でも、日本人同士のこうした戦いが繰り広げられるね」

 

 今回の個人戦日本代表18人のうち、リオ五輪経験者は男子3人、女子は1人のみだが……。

 

「むしろ男女とも過去最強のメンバーが揃った。前回の世界柔道覇者が、男女合わせて7人。そのほかのメンバーも実績を残しているだけに、最低でも、全階級でメダルは獲れる。

 

 男子66kg級など、日本選手2人で金銀を独占しそうな階級もあって、8階級で金メダルが獲れるとみている」

 

 度重なるルール改正で、2018年からは「有効」が廃止、ポイントは「技あり」と「一本」だけになった。篠原氏は、それを生かして「絶対に勝て!」と吼える。

 

「これで、以前は『有効』だったものが『技あり』と判定されることも出てくる。肩が半分しか畳につかなくても、『技あり』 だから、選手はラッキーだと思ってるやろな。

 

 なにより、しっかり組んで技を仕掛けることが重要になるから、日本には絶対に有利!」

 

 以下で、篠原氏が金メダルを確実視する選手たちを紹介する。

 

【篠原信一が「絶対金」と断言する選手たち】
●阿部一二三(22)/男子66kg級
「技のキレ、多彩さもあり、見ていて楽しい柔道をする。丸山には連敗中なので、どういった対策を練ってくるかも見どころのひとつ」(篠原、以下同)

 

●丸山城志郎(26)/男子66kg級
「阿部に連勝したことで、自信を深めている。おそらく決勝はこの2人の戦いで、勝ったほうが東京五輪に近づくのは間違いない」

 

●阿部詩(19)/女子52kg級
「女子ではいちばん期待する選手。もともと素晴らしい素質の持ち主だが、前回の世界柔道で世界王者になり、どう成長したかを見たい」

 

●大野将平(27)/男子73kg級
「リオ五輪も金メダルで、正直この階級では断トツ。各国は『打倒・大野』でくるでしょうが、それでも優勝は間違いないでしょう」

 

●新井千鶴(25)/女子70kg級
「昨年の世界柔道を制したことで、大きく成長。怪我などのアクシデントがない限り、世界柔道連覇は間違いない」

 

●ウルフアロン(23)/男子100kg級
「全日本選手権(無差別級)の覇者。手強い選手が多い階級ですが、いまいちばんのっている男。スタミナも抜群」

 

●朝比奈沙羅(22)/女子78kg超級
「身長176cmと、女子重量級では待望の高身長。得意技は『払腰』『支釣込足』と、パワー柔道が持ち味。同階級の素根輝は、好ライバル」

 

●芳田司(23)/女子57kg級
「世界柔道は2017年が銀、2018年が金。グランドスラムでも多くの大会で優勝している。増地克之・女子代表監督が非常に期待する1人」

 

●高藤直寿(26)/男子60kg級
「リオ五輪では残念ながら銅メダルに終わったが、世界柔道では三度の優勝。“天才肌” で、『巴投』『肩車』などの大技も繰り出す」

 

●永山竜樹(23)/男子60kg級
「若いころから高藤をライバル視し、これまで幾度も熱戦を繰り広げてきた。内股で一本勝ちした経験あり。得意技は『背負投』」

 

(週刊FLASH 2019年9月3日号)

上原浩治の律儀伝説「野球カード送られたらサインして返送」

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 元メジャーリーガーの上原浩治が、8月25日放送の『ボクらの時代』(フジテレビ系)に出演した。

 

 番組では現役時代のファンレターの話題に。共演者で仲のいい、柔道金メダリストの野村忠宏が「もらってた?」と上原をいじると、「もらってましたよ、なんてこと言うんですか?」と笑顔で反論する。

 

 

 ここで野村が「結婚してからファンレターが一気になくなったんだけど」と打ち明けると、上原は「わかります」と大きく頷いて同意。

 

 さらに「結婚してからで言うと、僕は野球カードばっかり(送られて)来ますよ。『サイン書いて送り返してください』って。もうそればっかりです(笑)。ファンレターちゃうやん」と振り返る。

 

 これに共演者が「返すんですか?」と質問すると、上原は「ちゃんと返してあげるよ。なかに返信用の封筒が入っていればね」と明かす。

 

 上原本人も認めていたが、ファンの間で野球カードを送るとサイン付きできちんと返って来ることが、口コミで広がっていたのだろう。

 

 ちなみに芸人のプチ鹿島は、自身が書いた「note」にて、1999年に『電波少年』(日本テレビ系)の企画で経験した上原とのやりとりを綴っている。

 

 企画は、テント生活する無名若手芸人が、巨人軍が優勝すれば顔と名前を公開、試合に負けたら食事が抜きになるというもの。

 

 当初は連敗続きだったが、ルーキー上原が登板すると連勝が続き、「『どんなに巨人が不調でも、上原が投げる日曜の夜はご飯が食べられる』のである。神様、仏様、上原様!」と振り返る。

 

 さらに、テント内でいろんな巨人選手に一方的にファンレターを書くことが日課になっていたという鹿島はこう明かす。

 

「そんなアホに、信じられないことに上原様から『返事』がきたのである。しかも便箋1枚にギッシリ。『いつかあなたにお会いしてみたいです』と最後に書かれていた。

 

 おまけに野球カードにサインを入れて同封も! なんてありがたい。涙が出て仕方なかった。さっそくテントに祭壇をつくって野球カードを飾った」

 

 上原の律儀な性格が出ているエピソードである。

 

 

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