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安倍首相とも麻生副総理とも面会「本田圭佑」の政界転身計画

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安倍首相とも麻生副総理とも面会「本田圭佑」の政界転身計画

 

「世界を少しでも良くしたい」
 こう語っているのは、サッカー日本代表の本田圭佑(32)だ。本田は、8月2日放送の「AbemaPrime」(AbemaTV)に出演し、自身の今後の挑戦について胸中を打ち明けていた。

 

 本田といえば、7月にハリウッド俳優のウィル・スミスとベンチャーファンド「ドリーマーズ・ファンド」設立をぶち上げ、世界の注目を集めた。

 

 

 一方、オーストラリア1部リーグ「Aリーグ」に所属するメルボルン・ビクトリーへの移籍が決定。本田は「2年後の東京五輪を目指して現役を続ける」とも語っており、五輪代表のオーバーエイジ枠を狙い、第一線から離れるつもりはないようだ。

 

 しかし本田は、2012年からサッカー教室「SOLTILO FAMILIA SOCCER SCHOOL」を中国やカンボジア、タイなど合わせて世界80カ所以上で展開中。

 

 そして、サッカーを通じて教育分野へ貢献している本田に目をつけているのが、自民党の関係者たちだ。

 

「本田選手がうちの議員らと会談することは、もはや珍しく感じなくなってきた」と話すのは、自民党中堅議員。続けてこう話す。

 

「2016年7月に、本田選手は安倍総理と面会。そのとき、『本気で一度、政治家になろうと考えた』と話した。この発言があってから、引退後に出馬しないかと水面下で打診する動きが複数あったようだ。本田選手は今のところ、そのつもりはないようだけど」

 

 本田は昨年6月にも財務省を訪れ、麻生太郎副総理兼財務相と会談(写真)。「政治とは関係ない話をさせていただいた」としつつ、「すごく影響力のある人にできるだけ会いたい、学びたい、いろいろ盗みたい。自分がこんな人間だと覚えてもらうことだけが目的だったので、それは果たせたと思う」と会談後に記者団に語っている。

 

 前出・中堅議員はこう話す。

 

「たしかに今は、自身の社会的な活動に結びつくような人脈作りのつもりなのかもしれない。ただ、もともと政治や社会問題への関心が強く、SNSでの発信も増えている。選挙区の都合さえつけば、ぜひウチから出て欲しいね」

 

 本田はかつて新聞のインタビューにこう話している。

 

「オレがいう本物とは政治家のことであったりする。彼らは税金から給料を得ている。日本では、日本の政治家こそがスターであるべきだってこと。本物とは何かということに対してもっと真剣に考え、議論する必要があるんじゃないか」

 

 ビックマウスと揶揄されようとも、結果を重ねてきた本田。闘うピッチが永田町になる日は、意外と遠くないのかもしれない。


PL学園の名監督が球児に贈ってきた言葉は「球道即人道」

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PL学園の名監督が球児に贈ってきた言葉は「球道即人道」

 

 18年間の監督時代に異数の業績を刻む。黄金時代を築いた名将、PL学園・中村順司元監督(71)が心の拠りどころにした言葉が「球道即人道」。グラウンドの中に、人間社会の縮図があるというPL教団の御木徳近第二代教祖の教えだ。 

 

「すべてのプレーは自分のためでなく、チームのためにというPL野球の原点がこめられた言葉。それを自ら実践し、チーム全員に伝えることが使命だと思って指導した」

 

 

 のちに、「球道即人道」の教えは、さまざまな言葉に置き換えられる。1987年、選抜優勝メンバー・片岡篤史は大会で精彩を欠く。不振に喘ぐ片岡にかけた言葉が、「できないことがあれば、できるよう祈りなさい。ただし、祈るだけでなく、すべてのことに感謝して徳を積みなさい」。

 

 野球技量の向上を目指すには、生活態度の改善も必要不可欠だと諭す。以後、野球部寮周辺の掃き掃除を毎朝、夏の甲子園大会決勝の当日まで続けて精神修養に励み、春夏連覇の大願を成就。

 

 立浪和義は、1年秋にレギュラーを獲得し、次第に慢心が芽生えた。

 

「エラーした仲間を咎める態度を取ってはいけない」

 

 諫められた翌日から謙虚な気持ちに切り替えて、後に主将にも選ばれるほどナインから信頼を取り戻した。

 

 PL史上最強打者の清原和博に対するアドバイスはただひとつ。次の打者へ繫げることだけを指導。常套句は「センターへ打ち返せ」。

 

 その甲斐あって、本塁打を狙う大味な打撃を慎み、チームバッティングに徹するようになった。

 

 チームがピンチに直面したとき、伝令へ託した言葉が「1点やっても2点はやるな」。緊迫した場面でプレッシャーをかける言葉を避けて選手を落ち着かせるのが狙いだった。意外なエピソードを語る。 

 

「18年間、サインを一度も変えたことはなく、同じサインを出しつづけた。その代わり、ジェスチャーを多く使った。打者には『もっと顔を上げろ』、投手には『腕を思いきり振れ』とか。それが選手をリラックスさせたように思う」

 

 ふだんの練習でやってきたことを甲子園の大舞台で、いかに実践できるかが勝敗を左右する。そのためには少しでも選手をリラックスさせることで、本来の力を引き出す。高校野球の厳しさを知り尽くす中村氏の言葉は、人生の処世訓に相通じるものがある。

 

なかむらじゅんじ
甲子園通算成績58勝10敗。勝率.853。優勝回数6回(春夏各3回)。監督在任中に毎年プロ選手を1人以上出し、その数は、総勢39名にのぼる。現在、名古屋商科大学野球部の総監督を務める

 

(週刊FLASH 2018年8月14日号)

花よりも花を咲かせる土になれ…高校野球「勝つための金言集」

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花よりも花を咲かせる土になれ…高校野球「勝つための金言集」

 

 数々のドラマを生んできた夏の甲子園。なぜ、我々は高校球児のプレーに心打たれるのか。スポーツジャーナリストの田尻賢誉氏が、熱戦の陰にあった魂が宿った名言についてまとめた。

 

 

 もし、滞在中のホテルが火事になったら、どうするだろうか? 階段やロビーは人でごった返し、気が動転して、何をしたらよいかわからなくなるはずだ。そんなとき、我に返る方法がある。

 

 

 それは、自分よりも気が動転している人を見つけて励ますこと。筆者がメンタルについて勉強してわかったのは、人は自分よりも焦っている人を見ると、冷静になれるということだ。

 

 これと同じことを言っていたのが、常総学院の木内幸男元監督だ。ミスをした選手に対し、「ミスをした後ほど声を出せ」と言っていた。理由は「人を励ませば、自分が励まされるんだよね」。  

 

 木内監督の時代は、メンタルトレーニング自体がほぼなかった。それなのに、木内監督は気づいている。それは、本気で勝ちたい、子供たちを成長させたいと思っていたからだろう。

 

 興南の我喜屋優監督は言っていた。

 

「逆境から逃げてばかりいると、いつまでも追っかけてくるよ」  

 

 我喜屋監督は現役時代、まだ後楽園球場でおこなわれていた都市対抗野球に出場。炎天下でのプレーを経験している。そのときにとった行動は、試合前にサウナに入り、鍋焼きうどんを食べること。

 

 暑さから逃げず、自ら立ち向かっていったことで、「さすが沖縄出身。暑さに強い」と言われる活躍を見せた。これもまた本気で勝ちたいと思ったから出た行動だ。  

 

 両監督の言葉は、本質を突いている。自らの体験を通じて、本質に気づいたからこそ、その言葉には言魂が宿り、強い力を持つようになる。

 

 勝負にも、選手たちにも本気でぶつかる熱い指導者の熱い言葉。心にズドンと響く言葉ーー。今夏も、そのような名言が生まれることを期待したい。

 

【闘将に学ぶ「心が震えた金言」】

 

「優秀なコーチというのは表情を変えずに同じことを1000回言える。人を変えるには自分を変えないこと」(前橋育英・荒井直樹監督)

 

「失敗を成功に繫げる選手は一流。責任を転換して失敗を繰り返すのは二流。三流は自分が失敗したことすら気づかない」(花巻東・佐々木洋監督)

 

「人と比較するな過去の自分と比較しろ」(聖光学院・斎藤智也監督)

 

「花よりも花を咲かせる土になれ」(星稜・山下智茂元監督)

 

「どうでもいいなぁって思ってるときはえらく優しいんだから。きつく言ってるときのほうが勝つ気なんだから」(常総学院・木内幸男元監督)

 

「小さな評価かもわかんないけど1億の仕事と同じように評価してやる。どんな小さなことでも褒めてやるのが一番じゃないかな」(日大三・小倉全由監督)

 

「小さなことに全力で取り組み小さなことを確実にする子は、間違いなく大きな仕事ができる」(興南・我喜屋優監督)

 

「本気と一生懸命は違う。本気というのは自分の中から湧き出てくる本当の気持ち」(県岐阜商・藤田明宏元監督)

 

「人は出会う人の数は同じ。周りに人がいる人生を送るかどうかは神様が決めるんじゃない。自分の対応が決めるんや」(今治西・大野康哉監督)

 

「死ぬ気でやれよ、死なないから」(仙台育英・佐々木順一朗元監督)

 

「上が歩み寄らないといけない。上がいかに意見を吸い上げるか、意見が言えるような存在じゃないとダメだと思う」(八戸学院光星・仲井宗基監督)

 

「『万年補欠で3年間ボール拾ってました』と胸を張って言えるような子供を作りたい」(広陵・中井哲之監督)

 

「当然、叱らなきゃいけないですけど、潰す怒り方なのか、自分からやろうと思える叱り方なのかの差はあると思うんです」(関東一・米澤貴光監督)

 

「一番頑張らなきゃいけない選手は一番怒らなきゃいけない。一番結果を残すヤツは一番頑張らなきゃいけない。一番上手いヤツは一番頑張ってなきゃいけないんですよ」(横浜隼人・水谷哲也監督)

 

文・田尻賢誉 たじりまさたか
1975年、神戸生まれ。スポーツジャーナリスト。2001年から甲子園春夏全試合を観戦、取材している。最新刊は『心が熱くなる! 高校野球100の言葉』(知的生き方文庫)。ツイッターは@tajikenjkty

(週刊FLASH 2018年8月14日号)

甲子園の名物実況「植草貞夫アナ」の絶叫はすべてアドリブ

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甲子園の名物実況「植草貞夫アナ」の絶叫はすべてアドリブ

 

 数々のドラマを生んできた夏の甲子園。なぜ、我々は高校球児のプレーに心打たれるのか。28年間、甲子園の実況を務めた植草貞夫さん(85)が熱戦の陰にあった魂の名言を明かす。

 

 思い出深い言葉として、まず出てきたのが、「甲子園は清原のためにあるのか」。

 

 67回大会(1985年)の決勝、PL学園vs.宇部商で6回裏、PLが1点リードを許す場面。

 

 

「4回に清原が打った1本めのホームランのときは、あの言葉は出ないんです。まだ試合は序盤。自然に出たというのは、試合の目処がここでついたという直感があったんでしょう。

 

 セカンドキャンバスをまわったときに清原のアップが映って、それを見て無意識に出たんです。清原が『たんなるホームランが、あれで伝説のホームランになった』と喜んでいたそうです」

 

「背番号1の水野が背番号11の桑田に、いつもやってることをやられました」

 

 この名言が生まれたのは、65回大会(1983年)の準決勝、PL学園vs.池田だった。夏春連覇の池田はV候補。

 

「圧倒的な強さを見せると思ったら、桑田(真澄)が超美技のダブルプレーで初回を切り抜け、2回裏にホームラン。水野(雄仁)は『なんで1年坊主に打たれるんだ』という顔をしてましたね」

 

 これらとは少し違った立ち位置から発せられた名言は、74回大会(1992年)の星稜vs.明徳義塾。超高校級の松井秀喜に注目が集まった一戦。

 

「全5打席、全部ストレートの四球。だから5×4=20。僕は20回『勝負しません』としか言わなかった。解説者も『勝負してくれ』だけ。あの試合は(相手投手の気持ちも考え)よけいな言葉は省いて、『勝負しません』だけでした」

 

 名言はすべてアドリブ。

 

「たまに『あのシーンをどう実況されますか』と聞かれるのですが、実際に見ないと言葉は生まれてこない。残念だったのは江川卓、松坂大輔の2人を一度も実況できなかったことですね」

 

うえくささだお
朝日放送時代の1960年から1988年まで、甲子園の実況を担当。定年退職後も同局の専属キャスターとして活躍

 

(週刊FLASH 2018年8月14日号)

菊池雄星・魂の名言「心の部分は80歳になっても成長できる」

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菊池雄星・魂の名言「心の部分は80歳になっても成長できる」

 

 数々のドラマを生んできた夏の甲子園。なぜ、我々は高校球児のプレーに心打たれるのか。異彩を放っていた菊池雄星の「本気の言葉」を、スポーツジャーナリストの田尻賢誉氏がまとめた。

 自分の考えを表現するのが苦手。これは、多くの高校生にいえることだ。近年はスマートフォンが普及し、友達同士でもSNSで単語や暗号のような短縮語で会話する時代。インタビューでも、当たり障りのない「感謝」という言葉を多用する選手が増えた。

 

 そんななか、異彩を放っていたのが花巻東・菊池雄星だった。超高校級の実力がありながら、読書が趣味。饒舌で、言葉や表現も豊富で、会話していて楽しい選手だった。

 

「計画や準備を怠るということは、失敗を計画しているようなもの」
「マウンドは世界一低い山だが、世界一登るのが険しい山だ」

 

 雄星の言葉には、メッセージがこめられている。彼は常に「野球だけ上手い人にはなりたくない」と言っていた。日常生活も練習ととらえ、人の嫌がるトイレ掃除に取り組み、毎日の日誌も手を抜かなかった。言うだけではなく、行動もしていたのだ。

 

 いまや日本を代表する投手となった雄星。実力があり、行動がともなっている人の言葉は心に響くのだ。

 

 

【菊池雄星の熱いメッセージ一覧】

 

「想像力や感性が養われるのが本の魅力。ひとつの話やひとつの言葉にしても、想像力で膨らますことができます。テレビだと、映像と言葉が一緒に出てきて、一瞬で納得し、過ぎ去ってしまう」

 

「全力で走らない選手が一番イヤなんです。100人部員がいるなかで、20人しかベンチに入れない。一塁ベースを駆け抜ける権利さえ許されない選手が80人いるわけです。権利があるのに放棄する選手は納得がいかない」

 

「野球の技術は年齢とともに衰えますが、心の部分は70歳になっても80歳になっても成長できる」

 

「『すごい』より『さすが』と言われる人になりたい。『すごい』と言われるのはひとときのこと。でも『さすが』というのは、私生活も野球も常にしっかりやるから言われると思う」

 

「『こえる』という漢字は『超』ではなく『越』が好きです。『超』というと、一気に才能が開花したスーパーな感じがします。『越』はコツコツ積み重ねていった感じがします」

 

「信頼というのは1日や2日でできるものではない。3年間を通して、しっかりやった者だけが掴める」

 

文・田尻賢誉 たじりまさたか
1975年、神戸生まれ。スポーツジャーナリスト。2001年から甲子園春夏全試合を観戦、取材している。最新刊は『心が熱くなる! 高校野球100の言葉』(知的生き方文庫)。ツイッターは@tajikenjkty

 

(週刊FLASH 2018年8月14日号)

野村克也 ボヤキの原点は「不良のたまり場だった高校野球部」

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野村克也 ボヤキの原点は「不良のたまり場だった高校野球部」

 

「高校野球はプロ入りのために重要な過程だった」と、野村克也氏(83)は語る。

 

「女手ひとつで育ててくれた母親を楽にするため、絶対プロにという目標があった。まず、京都府立峰山高校で頭角を現わし、関西の名門企業に行って、活躍してプロに入る。だからこそ、野球を続ける必要があったわけだ」

 

 ところが、ノムさんの計算どおりには進まなかった。

 

 

「弱いのは想定内だったが、野球部は学校のお荷物だった。予算を多く使うだけでなく、ガラスを割る、ほかの部がグラウンドを使えない。しかも、ろくに勉強しない不良の溜まり場。

 

 職員のなかには廃部にしようという動きもあった。その急先鋒が、生活指導部長の清水義一先生だった」

 

 若きノムさんは考えた。

 

「まず生徒会長に立候補することに決めた。清水先生と仲よくなるためにね。で、僅差ながら当選。次に、清水先生の小学生の息子2人が野球好きとわかったので、『今度の試合を観においで。ベンチに入れてあげるから。そのときは必ずお父さんを連れてこいよ』と言ったわけ。

 

 清水先生は2人の息子と来てくれたよ。すると、ふだんは落ちこぼれの生徒が真剣にプレーしている姿に感動しているわけ。そこからは一気呵成だな。野球部の存続どころか、口説いたら部長にも就任してくれたよ」

 

 だが清水部長は、野球はまったくの素人。だからノムさんは、主将で四番ばかりか、監督、コーチも務め、テストのときには勉強のできない生徒に解答用紙を見せ、カンニングすら手伝った。

 

「清水先生は、多くの球団に『野村克也といういい捕手がいます。ぜひ見に来てください』という手紙を出してくれていた。そのなかで唯一、南海が来てくれて、テスト入団に繋がったんだ。

 

 俺は今でも『人間的成長なくして、技術的進歩なし』と言うんだけど、これは清水先生の教えがもと。

 

 よく、『まずおこないを正し、立派な人間になれ。そうすれば強くなる』と言っていた。『野球の技術を磨く前に、まず人間を磨け』と。この言葉が、その後の私の思考と行動を決めたんだ」

 

(週刊FLASH 2018年8月14日号)

吉田輝星881球で準優勝「投げ続ける疲労感」を元エースが語る

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吉田輝星881球で準優勝「投げ続ける疲労感」を元エースが語る

 

「秋田県勢初」はもちろんのこと「東北県勢初」の優勝を託されて、甲子園の決勝マウンドに上がった金足農業高校の吉田輝星投手(3年)。

 

 残念ながら決勝戦では大阪桐蔭高校に敗れてしまい、悲願達成はならなかった。

 

 

 地方予選から一人で投げ抜いてきた吉田投手は、決勝戦の5回までマウンドに立ちつづけ、大会を通じて881球を投げてきた。

 

 夏の甲子園において、一大会で投じた球数の最多記録は2006年の斎藤佑樹投手(当時・早稲田実業)の948球だが、吉田投手はそれに匹敵する球数を投げたことになる。

 

 決勝前に「疲れはまったくない。体は軽いです」と語っていた吉田だが、これほどの球数を一人で投げ抜いたときの本当の疲労感とはどのようなものなのか?

 

 1991年夏の甲子園で同じように大阪桐蔭との決勝まで一人で投げ抜き、一大会で773球を投げた沖縄水産・大野倫投手(45)はかつて本誌の取材にこう答えていた。

 

「試合が終わった夜は監督自らが入念にマッサージしてくれました。ただ3回戦以降は4連投。さすがに4日目となると極限の疲労で意識朦朧としていましたね」

 

 大会中から肘の調子が思わしくなかった大野投手は、大会終了後の10月に手術をおこなった。

 

「肘から骨片がいくつも出てきて、医者から骨折したまま投げていたと言われました。でも、大会の途中でマウンドから降ろされていたら、逆に恨んでいたかもしれません。いまでも監督には感謝の気持ちでいっぱいです」

 

 吉田投手は今大会No.1投手の呼び声も高く、プロのスカウトの熱視線が注がれている。元プロ野球選手の中村紀洋氏(45)も「金足農、吉田君これからの飛躍を期待してます」とTwitterでコメントしている。

 

 過去にもダルビッシュ有、田中将大、野村祐輔など準優勝にとどまったエースからプロ野球の好投手が生まれたケースは多い。吉田投手の夏は終わったが、まずは体を休ませて、将来更なる快投を見せてもらいたい。

競泳「池江璃花子」大好きなチョコ厳禁でアジア大会6冠達成

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競泳「池江璃花子」大好きなチョコ厳禁でアジア大会6冠達成

 

 開幕したアジア大会で、日本勢初の6冠で有終の美を飾った競泳の池江璃花子(18)。

 

 前日には「気持ちは折れそうだった。体は気持ち以上にきつかった。でも、金メダルは疲れを吹っ飛ばしてくれる」と語っており、最終日の8月24日、「一番緊張した」50m自由形で、見事、金メダル。

 

 

 開催地・ジャカルタへの出発前には、「うまくいけば、MVPも獲りたいなと思っています」と自信をのぞかせていた。

 

「昨季は7月の世界選手権で惨敗するなど、体力も気持ちも大スランプに陥っていた。そこから徹底的に泳ぎ込みをおこない、完全復活を遂げた。好物のチョコレートを控えるなど、体重管理にも励んでいる」(スポーツライター)

 

 中学生時代に比べると、肩や太もも周りはガッチリと筋肉質になり、アスリート体型に磨きがかかった。すべては、2年後の東京五輪のためだ。

 

「東京五輪では、決勝レースは午前中が有力。そのために早朝練習を増やし、朝方への転換を図っています」(同前)

 

 20歳のスーパー女子大生で迎える大舞台に、期待は膨らむばかりだ。
(週刊FLASH 2018年9月4日号)


ホームラン量産「大谷翔平」のすごさは「本塁打率」でわかる

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ホームラン量産「大谷翔平」のすごさは「本塁打率」でわかる

 

 シーズンも終盤に差しかかるが、まだまだ大谷翔平(24)の「SHOWTIME」は止まらない。
 

 米・メジャーリーグでは、8月24日(日本時間)からの三連戦、「プレーヤーズ・ウイークエンド」と題し、選手たちが自分たちのニックネームを刻んだユニフォームに身を通して試合に臨んだ。

 

 

 そこで、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷が選んだニックネームが名前の「翔」と「Show」をかけた「SHOWTIME」なのだ。

 

 その「プレーヤーズ・ウイークエンド」が開催されていた26日には、日米通じて自身初の「4番打者としての本塁打」を放ち、2日後の28日にも「4番DH」で出場し、逆転3ランを放った。ここにきて、本塁打の量産体制に入ったようだ。

 

 大谷は8月28日現在、15本の本塁打を放っている。いままでメジャーリーグの舞台で1シーズン最多の本塁打を放った日本人は松井秀喜(44)で、2004年に記録した31本塁打。

 

 メジャーリーグ1年目の選手に限れば、城島健司(42)が2006年に記録した18本塁打である。松井の31本塁打は難しいにしても、城島の18本塁打は上回りそうな勢いだ。

 

 さらに、“率” に注目すると、大谷はとんでもない記録を残している。それは、本塁打1本に要する打数を表わす「本塁打率」。

 

 28日現在、15本塁打を放っている大谷の打数が227。227÷15を計算すると、1本塁打が出るまで15.1打数必要という計算だ。

 

 先に紹介した2006年の城島は506打数で18本塁打。つまり、1本塁打が出るまで28.1打数という結果なので、大谷のほうがかなりのハイペースだとわかる。

 

 ちなみに、これまでメジャーリーグで1シーズン10本塁打以上放ち、いちばん本塁打率がよかったのは、2009年の松井秀喜。456打数で28本塁打を放ち、16.3打数で1本という計算だった。

 

 なお、イチローは2005年に計15本塁打で45.3打数、福留孝介は27.5打数(2010年)、井口資仁が30.8打数(2006年)、新庄剛志が40打数(2001年)となっている。

 

 大谷がこのままのペースを維持して本塁打を放てば、すべての日本人選手を上回る。「日本人最強スラッガー」の称号が塗り替えられる日も近いかもしれない。

金足農業・吉田輝星「メジャーに興味ある?」直撃してみた

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金足農業・吉田輝星「メジャーに興味ある?」直撃してみた

 

 金足農業の吉田輝星投手(17)が野球を始めたのは小学3年生のとき。天王ヴィクトリーズ野球スポーツ少年団の河村正悦監督が、当時を振り返る。

 

「幼稚園のころから金農野球部OBの父親が指導した影響で、入団当初からしっかりと投げることができた。本格的な投手デビューは5年生から。MAX100キロ超が、6年生になると110キロにアップした」

 

 

 天王中学に入学後は軟式野球部に在籍し、県大会ベスト4。中3の8月から、秋田北リトルシニアに入部した。

 

「ひと目見て高い将来性を感じたが、これほど成長するとは驚きです。『毎日2、3時間のタイヤ引きのトレーニングで、下半身強化に努めた』と言ってました」(同リトルシニアの武田一泰会長)

 

 中学生になると、少々やんちゃな一面も。同級生が語る。 

 

「試合前の練習で相手監督めがけてフリーバッティングをして怒鳴られてました(笑)。我が強い面がありましたが、マウンド度胸のよさや何事にも動じない態度は、中学生のときからですね(笑)」

 

 高校の同級生は、意外な特技を明かす。 

 

「有名人ではなく、学校の先生や野球部の監督のものまねが得意。これが似ていて、大盛り上がりするんです」

 

 甲子園大会後、将来の夢を聞かれ、「巨人入団」と“逆指名”したが、実情は異なる。

 

「好きな選手は楽天の則本昂大投手。動画を見て投球スタイルを熱心に勉強しているそうです」(スポーツ紙記者)

 

 一躍、国民的スターへと駆け上がった吉田投手だが、次は日の丸を背負ってU‒18アジア選手権に臨む。8月28日の大学日本代表との壮行試合は、チケットが完売するなど、フィーバーはさらに過熱する勢い。

 

 たったひと夏で、人生が激変した吉田投手が、複雑な胸中を打ち明けてくれた。 

 

ーーしばらくは、自由に街を歩けないのでは?
「ちょっと、帽子とかかぶってうまく逃げられれば(笑)」 

 

ーー知らない人から連絡は? 
「ああ、けっこうありました。先輩の先輩みたいな感じで。上下関係が厳しいので、返さなければまずいと、本当に怖かったです。でも、なんて返せばいいのか……(苦笑)」 

 

ーーメジャーに興味は? 
「いや、(にやけて)まだ全然わからないです」

 

 大学かプロか、その進路に関心が集まる。
(週刊FLASH 2018年9月11日号)

ボクシング新王者「伊藤雅雪」右ストレートの次は英語を磨く

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ボクシング新王者「伊藤雅雪」右ストレートの次は英語を磨く

 

 WBO世界スーパーフェザー級王者・伊藤雅雪(27)が、8月26日、都内で開催された新チャンピオン祝勝会に出席した。

 

 伊藤は、7月28日、アメリカのフロリダ州で行われた王座決定戦で、23戦全勝だった同級1位クリストファー・ディアス(23、プエルトリコ)に3-0で判定勝ち。

 

 

 日本人37年ぶりとなるアメリカでの王座奪取を果たしたが、「スタート地点に立っただけ。ここからが勝負。防衛を重ねて僕にしかできない世界王者を目指していく」とさらなる飛躍を誓った。

 

 祝勝会では、スパーリングを披露。前王者からダウンを奪った右ストレートで、250人もの参加者を唸らせた。また、学生結婚した衣理香夫人、長女愛音(あのん)ちゃん、次女愛海(あいみ)ちゃんから花束を贈られると、照れ臭そうに受け取り、父親の顔を覗かせる一幕も。

 

 伊藤は、もともと駒澤大学高校にバスケのスポーツ推薦で入学した。ボクシング経験はゼロのまま、ふと思いついて自宅近くの伴流ジムに入門。あれよあれよと試合が組まれ、ついに世界トップになった。

 

 ここ数年は家族と離れ、ロサンゼルスを拠点に練習をしているが、悩ましいのが英語だ。日常会話は問題ないが、「文法がめちゃくちゃで、汚い英語なので、きれいに話せるようになりたい」と、向こう2カ月間、英会話教室に通う予定だと明かした。

 

「次に(アメリカで)試合があったらもっとしゃべりたいので、ここぞとばかり講師から英語を盗んできます(笑)」

 

 帰国後は後援会やスポンサーへのあいさつ回りなどで大忙し。それでもロードワークは欠かしておらず、9月から本格的に練習を再開するという。

 

 初防衛戦の時期は未定だが、自慢の右ストレートがあれば、死角はないだろう。

体操界の女帝「田中理恵」も引退させた超パワハラの数々

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体操界の女帝「田中理恵」も引退させた超パワハラの数々

 

 2016年リオデジャネイロ五輪体操女子代表の宮川紗江選手(18)の告発に端を発した、日本体操協会のパワハラ騒動。なかでも、“加害者” として名前が挙がったのが、塚原千恵子女子強化本部長(71)である。

 

 報道を受け、2012年ロンドン五輪体操女子代表の田中理恵氏(31)は、「いろんな形での助け方があります。私もさえのためにも、選手たちのためにも、協力します。心配で仕方がない」(原文ママ)とツイッターに投稿した。

 

 

 2013年12月に現役引退を発表した田中氏だが、じつは彼女も、現役時代に千恵子氏から高圧的な発言を受けていた。体操協会関係者がこう証言する。

 

「田中さんは、2012年のロンドン五輪に出場後も、現役続行を表明していた。というのも、2015年秋に田中さんの地元・和歌山で国体が開催されたのだが、それを引退試合にしたいという思いがあったから。協会幹部や和歌山県の自治体関係者など、周囲の人たちもそれを強く望んでいました」

 

 ところが、田中氏の引退の花道に突如嚙みついたのが、ロンドン五輪の体操女子代表の監督を務めていた千恵子氏だった。

 

「当時、田中さんは腰痛に悩まされ、リハビリを続けていた。だが千恵子氏は、『試合に出場できないなら、中途半端なことやっていないで早くやめて、タレント活動にでも専念すればいい』と“引退勧告”とも取れる暴言を吐いたのです。

 

 それまでも千恵子氏は、体操界のアイドルと注目を浴びていた田中さんに、やっかみとも取れる苦言をたびたび呈していました。

 

 結局、田中さんは千恵子氏の圧力に屈する形で、地元での国体出場を断念し、現役を退くことになったんです。このときも、今回のように事情を知る多くの体操関係者からは、田中さんに対して同情の声が上がっていました」(同前)

 

 元体操選手で、アイドル歌手グループの一員としても活躍した信田美帆氏(46)も、指導者だった千恵子氏の被害者の一人だったという。

 

「信田さんが、1987年の世界選手権に出場したときのことです。跳馬で着地に失敗して、脳震盪を起こしてフラフラになっている信田さんに対して、コーチとして同行していた千恵子氏は、会場内の救護室に連れていくどころか、何度も頬を平手打ちしたんです。

 

 この現場をたまたま見ていた海外チームの選手やスタッフは、『日本のコーチはクレイジーだ』と、戦慄の表情を浮かべていました」(別の体操協会関係者)

 

 日本体操協会に、田中氏や信田氏に対するパワハラ疑惑について回答を求めたが、「(FLASHは体操協会が)取材NGとしているので、この質問については回答をお断わりします」との返答だった。

 

 今回のパワハラ騒動を受けて、日本体操協会は臨時の総会を開き、弁護士ら有識者で構成する第三者委員会の設立を発表。塚原本部長は、謝罪のファクスを出したが、これで問題が解決したわけではない。まだまだ予断は許さない。

 

(週刊FLASH 2018年9月18日号)

アジア選手権で「吉田輝星」大阪桐蔭・根尾昂と長風呂談義

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アジア選手権で「吉田輝星」大阪桐蔭・根尾昂と長風呂談義

 

「昨年、清宮幸太郎を擁するU-18代表の人気もすごかったけど、今年のほうがさらに上をいっている」(2年連続で取材するカメラマン)

 

 その人気の中心にいるのが、甲子園を盛り上げた金足農業の吉田輝星、大阪桐蔭の根尾昂、藤原恭大の3年生トリオ。

 

 

 初日は、初めて同じチームでプレーするということで、ナインは笑顔こそ見せるものの、どこかギクシャクした雰囲気があった。それを解消したのが永田裕治監督。人心掌握術に長けていることで定評のある永田監督は、冗談を言って場の雰囲気を和ませる。 

 

 その結果、「これほど明るい代表は見たことがない。やるべきことはちゃんとやっているが、ナインはつねにリラックスして笑顔が見られる」と、前出のカメラマンは語る。  

 

 気になる吉田と大阪桐蔭コンビの関係だが、いまやお互いをリスペクトする間柄にまでなっているという。

 

「根尾と藤原が吉田のことを “ヨッシー” と呼ぶことで、お互いの距離が近くなった。藤原は関係者が驚くほど目標が高く、心構えはプロ並み。試合で活躍していないのに記者に囲まれると、本気で『今日は僕じゃないでしょう』と言うほど。

 

 また、以前からビッグマウスも特徴で、『将来はプロに行って三冠王を獲り、ゆくゆくはメジャーに行く』と公言している。これも、わざと大きなことを言って、自分の言動に責任を取るため。

 

 そうした姿勢に吉田も感化され、2人で話すときばかりか、藤原が記者に囲まれて発する言葉にも真剣に耳を傾けている」(担当記者)

 

 一方の根尾は、無類の風呂好きで知られている。クールダウンはもちろんのこと、湯船につかって野球の話をすることが大好きなのである。その浴槽で、根尾を質問攻めにしているのが吉田だという。

 

「根尾はすべてを野球中心に考えていて、携帯電話も持っていない。また、両親が医師ということもあって、栄養学、サプリメントなどの知識も豊富に持っている。そこで、吉田がコンディショニングについて聞きまくり、結果、長風呂になっている」(同前)

 

 吉田は、秋田大会の初戦から甲子園の決勝までの11試合で計1517球も投げている。プロのスカウトからは代表を辞退し、休養にあててほしいとの声が聞こえるかと思えば、逆だった。

 

「現時点で、吉田はプロよりも大学進学の意向が強いと聞いている。だが、根尾や藤原といった高校球界屈指の実力者と接することで刺激され、その気持ちが変わるかもしれない。

 

 実際、清宮は、昨年のU-18W杯前までは早大進学かプロかで揺れていたが、大会後にはすぐにプロ入りを表明した。やはり、世界大会を経験し、ドラフト候補たちとともに戦ったことがプロ入りへの決定打だった。吉田が同様に気持ちが変わることを、我々多くのスカウトは期待している」(パ・スカウト)

 

 プロ入りか、それとも……。大阪桐蔭のドラフト1位候補コンビが、吉田の心を揺さぶっている。
(週刊FLASH 2018年9月18日号)

年収4000万円超の「稀勢の里」タワマンにお引越し!

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年収4000万円超の「稀勢の里」タワマンにお引越し!

 

 9月9日に初日を迎える大相撲九月場所。そこに「進退を懸ける」意気込みで臨むのが、横綱・稀勢の里(32)だ。この9月が「相撲人生の転機」となる可能性もあるのだが、その前に彼は人生の転機を迎えていた――。

 

 8場所連続休場という不名誉な記録を持つとはいえ、まだまだ稀勢の里の人気は衰えない。亡き親方の教えを守り相撲道を邁進する姿や、古風で不器用な性格が相撲ファンの心を摑んできたのだ。

 

 

 そして、横綱らしからぬ質素な生活ぶりも相撲ファンには響いた。

 

 2017年4月、「稀勢の里の自宅は1K家賃8万円」という報道が出た。単身者向けの質素なマンションに住み、付き人たちと近所の行きつけでラーメンを食べたり、夜も外出せず自炊をしているという内容だ。

 

 それに対し、ネット上では「偉いなぁ」「高級マンションに住む芸人と違って好感が持てる」「ストイックだよね」といった声が相次いだのだ。

 

「家賃8万円の家は、松戸にあった旧鳴門部屋が移転するときに、当時大関の稀勢の里が初めて一人暮らしを始めた場所です」(スポーツ紙相撲担当記者)

 

 ところが、である。

 

「今年に入って、稀勢の里は引っ越ししました。それも20階以上ある高層マンションの一室です」(前出・記者)

 

 稀勢の里の新居は、“職場” の国技館にも通いやすい立地。
 ゲストルームも備える高級物件で、気になる家賃は約23万円という。質素なイメージのあった前宅に比べると3倍近い額だ。

 

「とはいえ、稀勢の里くらいになれば当たり前でしょう。休場続きだが、相撲界の最高位・横綱です。相撲の給料だけで年収4000万円はいきます」(前出・記者)

 

 だが、いままでと変わらない一面もある。

 

「このあいだも半袖短パンのラフな格好のまま、付き人を連れてマンションを出てきたんですよ。どこに歩いて行くのかと思ったら、家の近くのお店で夕飯を食べにいったようでした」(近隣住民)

 

 新しい部屋に引っ越して、心機一転臨む九月場所。今場所限りで引退して、自分の部屋を持つことにならなければいいが……。

九月場所で進退問われる「稀勢の里」夜の六本木で生き生き

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九月場所で進退問われる「稀勢の里」夜の六本木で生き生き

 

「追い込まれていることは稀勢の里も重々感じている。そのせいか、巡業から帰ってきても、部屋での稽古をいつも以上に精力的にこなしている」(相撲担当記者)

 

 8場所連続休場中の “崖っぷち横綱” 稀勢の里(32)。29日間で26カ所を回った夏巡業は、休むことなく皆勤賞と、回復ぶりをアピール。一方で、精力的なのは稽古だけではなかったようで……。

 

【関連記事:家賃8万円で暮らす「稀勢の里」引退後への隠密行動】

 

 8月29日、稽古を終えた稀勢の里が、“始動” したのは日が暮れた午後7時半。自宅マンション前に横づけされたタクシーに乗り込むと、高速を使って六本木へ。飲食店が多数入る裏通りのビルの前でタクシーが止まると、迎えの店員の案内で、建物の中へと消えていった。その後、宴は深夜まで続いたのだった。

 

 8月31日の稽古総見では、4勝4敗ながら、相手が鶴竜(33)、栃ノ心(30)、豪栄道(32)とあって、表情は晴れやかだった稀勢の里。

 

 しかし、長年相撲を取材するスポーツライターからは厳しい意見が寄せられた。

 

「以前より稽古量は増えているといわれるが、体つきを見るとそうは思えない。全体的にたるんでいて張りがなく、『老けたなあ』といった印象。

 

 出場すれば、前半戦は協会も難敵を当てないだろうが、そこで取りこぼしをすればアウト。乗り切ったとしても、後半戦で上位陣に負けがこめば、自ら決断を下すというのが、我々の共通した考え」

 

 8月30日の稽古後には、部屋からほど近い小岩神社に、稀勢の里の姿があった。ここは願掛けで有名な神社である。

 

「休場中にも兄弟子にあたる西岩親方(元若の里)を介して、本願寺の高僧と接触し、心の鍛え方などのアドバイスを受けていたようです。先場所、『九月場所に進退を懸ける』と明言して休場した手前、9場所連続休場となれば、世間が許さないだろう」(スポーツ紙記者)

 

 9月9日に初日を迎える大相撲九月場所。出場となれば、横綱の品格以上に実力が問われる。

 

(週刊FLASH 2018年9月18日号)


アジア大会イチオシの注目株は「新体操」の大岩千未来

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写真・森田直樹/アフロスポーツ

写真・森田直樹/アフロスポーツ

 

 競泳・池江璃花子(18)の6冠をはじめとする金メダルラッシュに、日本中が沸いた。インドネシア・ジャカルタで開かれていたアジア大会で、日本は金メダル75個と、前回大会(47個)を大幅に超える大躍進。

 

 しかし、見どころは金メダリストだけではなかった。トップには惜しくも届かずとも、灼熱の地を沸かせた選手たちもいた。なかでも、現地で取材した記者の目を奪ったのは新体操に出場した大岩千未来(16)。

 

【関連記事:体操界の女帝「田中理恵」も引退させた超パワハラの数々】

 

 今回は細かなミスが目立ったが、9月の世界選手権の代表入りを果たしている期待の星。武器は股関節が200度以上広がるという驚異の柔軟性だ。

 

「個人総合6位とメダル獲得はできなかったが、まだまだ若く、2年後の東京五輪でもおおいに期待できる。彼女が属するフェアリージャパンは、東京五輪で悲願の初メダルが期待されているだけに、いい経験になったはずでしょう」(スポーツ紙記者)

 

 大岩も、「今回は結果が出ませんでしたが、アジアという大きな舞台を経験できた。すぐに世界選手権もあるし、実力をどんどんつけて上にいけるようにしたい。そして、東京五輪ではメダルを目標に頑張りたい」と語っていた。

 

 長身のほうが見栄えがいいとされる新体操選手のなかでは160センチと小柄。“成長” のため、いまでも日課の背伸びは欠かさないそうだ。

 

(週刊FLASH 2018年9月18日号)

大谷翔平「監督のわがまま采配」で消える「二刀流の夢」

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大谷翔平「監督のわがまま采配」で消える「二刀流の夢」

写真:ZUMA Press/アフロ

 

「チームは低迷していたし、肘の心配もある。今年はDHに専念させて無理に投げさせる必要はない、といった声も多かった」(スポーツ紙デスク)

 

 9月3日(日本時間)、エンゼルスは同地区首位のアストロズにゲーム差を離され、ワイルドカードによるプレーオフ進出も絶望的。それでもこの日、大谷翔平(24)はなぜかアストロズ戦の先発を務めた。

 

 

 現地米国人記者が、その疑問を解き明かす。

 

「右肘にPRP注射をしたのが6月8日。エンゼルスでは、大谷のような160キロを投げるピッチャーが今回の治療を受けたケースがなく、治療後の安静、リハビリでどのような効果が出たかのデータが欲しかった。ソーシア監督はそのために登板させたのです」

 

 言い換えれば、大谷の右腕は、“人体実験” されていたようなもの。アストロズ戦は2回1/3、投球数は49球と予定より少なかったが、腰の張りもあり、降板。

 

 この時点で中6日での次回登板が予定されていたが、その後判明した肘の状態は最悪だった。

 

 9月6日のMRI検査で、右肘靱帯に新たな損傷が見つかった。医師からは再建手術、いわゆる「トミー・ジョン手術」をすすめられている。ソーシア監督に壊されたようなものだ。

 

 同監督への疑念はまだある。本誌は大谷の初登板初勝利の際、スプリットの投げすぎに警鐘を鳴らした。スプリットは空振りが取れる球だが、肘に大きな負担がかかり、メジャーでは “デス・ピッチ(死の球)” と呼ばれる。

 

 その球をソーシア監督は大谷に多投させた。というのも、メジャーでは、捕手が投手に送るサインを監督が出しているのだ。デス・ピッチの投げすぎで肘は悲鳴を上げ、加えて早すぎた復帰登板によって手術が必要になってしまったのだ。   

 

 もっとも、「エンゼルスには手術を喜ぶ関係者もいる」と、現地記者は続ける。

 

「二刀流をやりたいのはあくまでも大谷本人だけ。チーム内では、いつかは一本でという意見が圧倒的。その意味で、手術は打者専念のいいきっかけにできる」

 

 それほど打者・大谷の評価は急上昇している。9月7日には、日本人メジャー新人選手としてトップの19号本塁打を放った。

 

 手術をすれば、投手なら1年以上復帰できないが、打者でDHなら、シーズンオフの10月に手術しても2019年の開幕には間に合うとみられる。エンゼルスのわがままで、大谷の夢、日本人の夢が潰されかねない。
(週刊FLASH 2018年9月25日号)

始まりは1998年…松坂大輔に一度も勝てなかった杉内俊哉が引退

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杉内と松坂

杉内と松坂

 

 20年前の1998年8月16日。当時高校3年生だった2人の天才投手は、夏の甲子園2回戦で投げ合った。横浜高校の松坂大輔は同年春のセンバツ優勝投手。対する鹿児島実業の杉内俊哉は、1回戦で八戸工大一相手にノーヒットノーランを達成。注目のカードを見に来た5万3000人の大観衆の前で、白熱した投手戦を展開した。

 

 

 試合前、松坂は「杉内君ですか? 意識しますよ。いい投手と投げ合えるのは楽しい。(ノーヒットノーランではなく)僕は完全試合から狙っていきます」と闘志をむき出しにした。

 

 5回まで、手に汗握る投手戦を展開。
 試合の均衡が破れたのは6回、横浜高校が、先制する。今年引退を表明した3番打者・後藤武敏(現DeNA)の犠飛だった。最終的には6−0で横浜高校の勝利。松坂は自己最速151キロをマーク。5安打、無四球、9三振を奪い完封した。バットでも杉内から2ランを放ち、これが記念となる甲子園初アーチだった。

 

 あれから20年の時がたった。37歳になった巨人・杉内俊哉が12日、現役引退を表明した。影響を受けた選手について聞かれると「やはり松坂。高校で対戦して衝撃を受けました。高校生が投げるボールじゃないと、あのときは感じました。彼をずっと追いかけてきた同級生はいっぱいいる。僕もそう。彼がレベルを上げてくれた」と感謝した。

 

 高校3年夏の甲子園で初めて投げ合って敗れてから、プロでも3戦2敗。「結局、松坂に勝つことなく先に引退。これは心残りなんですが……。これからは応援する側。彼が1年でも長くできるよう応援したい」と悔しさもにじませた。

 

 対して松坂は、杉内を「高校時代に甲子園で対戦してから、ずっと強く意識してきた仲間。自分の中で最高のライバルだった」と語った。

 

 球界を代表するエース2人は、国際大会でチームメイトになったこともある。2009年3月22日のWBC準決勝、アメリカ戦。松坂が先発し、5回表の2死1、2塁のピンチを招いたあと、杉内がリリーフ登板。見事、次の打者を三振に抑えた。

 

 引退会見で杉内は、国際大会について印象に残っているのは「中継ぎに回って登板するときの(ベンチからブルペンにかかってくる)電話の音ですかね(笑)。一気に体が温まるというか。投げてなくても、すぐ投げられるほど一気に沸点が上がる。あれは味わったことがないし、国際大会ならではだと思う」と語った。

 

 終生のライバル・松坂の後のマウンドに立ったとき、彼の本領が発揮されたに違いない。

塚原千恵子71歳のボヤキ「私だって選手を引き抜かれてる」

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塚原千恵子71歳のボヤキ「私だって選手を引き抜かれてる」

 

「私たちのことを応援してくださる方はたくさんいます。でも、早く沈静化しないといけないと思っているから、あえて発言するのはやめてほしいとお願いしました。

 

 ただ、あまりにも一方的な言い方をされているので、そろそろ私も表に出て真実を語らなければいけないと思いました」

 

 

 そう話すのは、日本体操協会の塚原千恵子強化本部長(71)。宮川紗江選手(19)の告発に端を発した報道が、連日過熱している。そんななか、千恵子氏は本誌の取材に重い口を開いた。

 

 まず、宮川選手と速見佑斗元コーチ(34)が訴えた、朝日生命体操クラブへの引き抜き問題。本誌も、体操関係者から「塚原夫妻が優秀な選手を引き抜くことでクラブを強化してきた」との証言を得ていた。

 

「報道でも、引き抜き、引き抜きといわれていますが、私が選手に『あなた、うちのクラブに来ませんか?』と言ったことはありません。

 

 宮川選手についても、2020(東京五輪特別強化選手)になると、さまざまなサポートを受けられるため、ほかの選手のコーチが速見コーチに、『2020においでよ』と声をかけたのに、いつのまにか朝日生命においでよになってしまった。

 

 引き抜きなら、逆に私のほうがされたんです。うちのクラブで一生懸命育てても、大学が選手にお金を渡したり、学費をタダにしたり、私たちの知らないところで “特待生” として勧誘するんです。

 

 大学のほうが、よっぽどえげつない引き抜きをしていますよ。悲しい思いをしたことは何度もあります。私から選手を勧誘したことはいっさいありません」

 

 自分が引き抜きをしたと騒がれているが、じつは自分自身が引き抜きの被害に遭っていたと主張する千恵子氏。自身の引き抜き行為は、断固として認めなかった。

 

 もうひとつ問題となっているのが、パワハラ問題である。“体操界の女帝”と報道され、今回の騒動も、宮川選手が「千恵子氏にパワハラを受けた」と会見で訴えたことで大問題となった。「千恵子氏の権力が怖くて何も言えない」という体操関係者の声を、本誌も確認している。

 

「私の権威が怖い、話もできないほど怖いっていう、一方的な報道がいっぱいあるんですよ。皆さん、『私と話すのが怖い』と言うんです。でも、私のところにはいっぱい選手やコーチが相談に来てますよ。速見コーチの暴力問題についても、ほかの選手のコーチから相談されました。

 

 相談できるってことは、話せるってことですよね。なんで、女帝と呼ばれるのか意味がわからない。威圧的に話していると報道されていますが、今の私の話し方を聞いてそう感じますか?」

 

 協会内では絶大な権力を持つといわれることには、どう答えるのか。 

 

「私が三十数年、体操協会を牛耳っているといいますけど、私と主人は12年間、協会から離れていました。主人と私でなんでも決められるなんて、そんな甘いもんじゃない。2020で予算があるから、新しいことを始めようとしたら、すごく細かいことまで突っ込まれ、常任理事会で厳しく審査されて怒られます。

 

 今回、体操協会という組織そのものが、私と主人で簡単に物事を決めている組織だとされてしまったことは、大変残念に思います」

 

 取材中、千恵子氏が何度も口にしたのが、「世界選手権のため」。10月25日から開催される世界選手権の団体総合で3位までに入ると、東京五輪の出場枠を得られる。 

 

「今年の世界選手権で勝負しようと思っていたので、今回の騒動は非常に残念。夏前から、ライバルのロシアと中国の選手のデータを集めて調べていたんです。とにかく今回の騒動を早く収束させたかったのは、宮川選手も含め、選手への影響を考えたから。

 

 今回のことが毎日報道されて、ナショナルトレーニングセンターの前には、50人近い報道陣が詰めかける。そんな環境で、練習に集中できると思いますか? 私の体操人生の集大成にしたかったのに」

 

(週刊FLASH 2018年9月25日号)

東京五輪代表を目指す「山の神・神野大地」ケニアで武者修行

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東京五輪代表を目指す「山の神・神野大地」ケニアで武者修行

 

「一度きりの人生だし、後悔はしたくない。リスクを恐れて打算的に生きるのは、僕の信念に反するので」

 

 こう語るのは、青山学院大学の箱根駅伝連覇に貢献し、「三代目山の神」と呼ばれた神野大地(24)だ。2018年4月30日付で、所属していた実業団を退社。神野は東京五輪マラソン日本代表を目指し、プロランナーに転向した。

 

【関連記事:小室圭さん留学開始で…秋篠宮家「真っ二つ」の父娘断絶】

 

「まだメインスポンサーが決まっていないんです。いまは実業団時代の貯金を切り崩しながら、遠征費などを捻出しています。もちろん不安はあります。

 

 でも、『箱根駅伝を走って、強豪実業団で活躍する』という従来の “青写真” 以外にも長距離界のトップを目指せることを、陸上少年たちに知ってほしい。そういう部分でも、僕のチャレンジは意義のあることだと思います」

 

 この夏、神野はケニアに向かった。7月9日から約2カ月にわたる合宿を、ケニア中西部に位置する標高約2400メートルの高地「イテン」で張ったのだ。ここは、“マラソンの聖地” と呼ばれている。

 

「現地ではニュージーランドのハーフマラソン記録(59分47秒)保持者のゼーン・ロバ ートソン(28)のキャンプに参加しました。彼を含めて、ハーフの持ちタイムが59分30秒前後の選手が4人もいるレベルの高いチーム(神野のハーフ自己ベストは1時間1分4秒)。毎日、必死に食らいついて練習しました」

 

 練習相手もさることながら、コースもこれまで経験したことがないものだった。8月半ばには、神野がSNSで、「今まで何回も距離走してきたけど、間違いなく一番キツいコースだった/もちろん箱根の坂よりも」と語るほど。

 

「日本の環境はもちろん恵まれているのですが、いままで自分はどれだけ狭い世界で競技をしていたのか、ということを感じました。アフリカ人選手が世界の長距離界を席巻している理由、日本で練習していても、彼らには勝てないということを実感しましたね。ランナーとしての視野が広がりました。」

 

 神野は、9月16日におこなわれるベルリンマラソンに出場する。

 

 実業団時代、2017年12月の福岡国際マラソン(13位)と、2018年2月の東京マラソン(18位)に挑戦したが、どちらも思いどおりの結果ではなかった。勝負どころの後半に、「差し込み」と呼ばれる下腹部の激しい痛みが原因で、失速していたのだ。だが、その対策も万全である。

 

「医療機関で精密検査を受けたのですが、一般的な人にはある横隔膜と臓器の間の内臓脂肪が、僕にはほとんどなく、しかも横隔膜がめちゃくちゃ大きい。それで横隔膜と臓器が擦れることで、『差し込み』が発生していたんです。

 

 そこで、春の長距離レースでは、試合1週間前からフルーツ缶を毎食摂取することで内臓脂肪を作っていき本番を迎えました。このやり方で、腹痛が起きずにレースを走りきることができました。

 

 ただし、マラソンではこれまでと同じ方法だと、まだ内臓脂肪の量が足りないようです。なので、トレーナーさんと栄養士さんの助言の下、フルーツ缶の摂取以外も含めたマラソン用の対策をとっています。

 

 それを10日間かけておこなってから、ベルリンマラソンに臨む予定です」

 

 ベルリンマラソンでは、東京五輪代表選考レース・マラソングランドチャンピオンシップの出場権を目指す。「山の神」がマラソン界の頂に立つ日は近い。

 

かみのだいち
1993年9月13日生まれ 愛知県出身 2012年に中京大中京高から青山学院大に入学。2015年の箱根駅伝では5区の区間記録を樹立し、同大学史上初の総合優勝に大きく貢献した。座右の銘は「努力は裏切らない」

 

(週刊FLASH 2018年9月25日号)

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