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松田丈志「最もつらかったトレーニングは1日9時間泳いだとき」

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 元競泳選手の松田丈志が、1月9日に「糸引き納豆の日記念イベント」に登場した。

 

 4大会連続の五輪出場、200mバタフライで2度の銅メダルを獲得するなど、輝かしい実績を持つ松田。五輪出場を志したのは、わずか8歳のときだった。

 

 

「オリンピックを意識したのは8歳の頃、ちょうどバルセロナ五輪で、岩崎恭子さんが14歳で200m平泳ぎで金メダルをとったとき。テレビで見てて、大好きな水泳の頂点の五輪で活躍すると、こんなに日本が大騒ぎするんだと思って。自分も行ってみたいと思うようになった」

 

 だが、五輪出場までには、悔しい思いをしたこともあった。

 

「初めて出た全国大会が最下位だったり、国際大会初出場のときも世界チャンピオンに周回遅れを受けたり……。自信をなくした。

 

 でもそのときに、(メダルや好成績を)とれた人はどういうことをしていたのか考えた。自分は努力していると思っていたけど、彼らは、はるかに(予想を)超える努力をしていて、だから世界一になれているんだと腑に落ちた」

 

 現役時代、最もつらかったトレーニングは「1日に最高30キロ泳いだ。朝・昼・夜にそれぞれ10キロ。10キロ泳ぐのに3時間かかるので、9時間くらい泳いだときは一番きつかった」と振り返る。

 

「引退して最初の五輪イヤー。どんな1年になるのか、どんなことができるのか楽しみ」

 

 現役を引退した今も、五輪本番を迎えるのを楽しみにしていると話した。


現役千葉大生のナックルボーラー、大阪の独立リーグでプレー決断

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 清原和博氏が監督を務め、2019年11月30日におこなわれた『ワールドトライアウト』。高木勇人、横山貴明といったNPBで活躍した選手が出場するなか、1人の現役千葉大学の学生がグラウンドに立った。

 

 佐野太河投手。ナックルを武器に、ゆくゆくはメジャーリーガーを夢見る青年だ。大学に通いながら、独立リーグなどのトライアウトを受けていたが、このたび関西の独立リーグ・堺シュライクスで来シーズンからプレーすることが決まった。

 

 

 11月のワールドトライアウトでは、独立リーグのスカウトが視察し、球数制限のもと2試合に登板。1試合めではワンアウトもとれずに降板し、2試合めではヒットを打たれながらも、その後はゲッツーにおさえた。

 

「打たれた球は、ナックルが回転しちゃって失敗。精度を高めないといけないと思い、無回転の確率にこだわって練習するようにしました」

 

 トライアウト後、2020年始動のリーグ『北海道ベースボールリーグ』と、大阪・堺市を拠点に活動する関西独立リーグ所属の『堺シュライクス』からオファーが届いた。

 

「堺シュライクスに、大学に籍を置きながら行くことに決めました。大学3年の最後のテストが1月に終わって、2月の練習から参加予定。シーズン中の4月から10月はチームの寮に住んで、独立リーグでプレーします。単位には余裕があるので、休学のかたちではなく通わないかたちで、後期から大学に戻ります」

 

 主に、「ナックルボーラーが日本におらず、珍しい。通用するところが見たい」ことで評価されたという。

 

 春から大学4年だが、就活はしないと明言。NPBからのオファーを待つ、海外のトライアウトへの準備をするなど、シュライクスでもアピールを忘れない。

 

 小学2年時にソフトボールをはじめ、中学から硬式野球に。中学時代は内野手だったが、チームメイトが投げるナックルに刺激を受けたこともあった。

 

「試合で本格的に投げ始めたのは大学からですが、遊びとして中学の頃に投げたことがあります。中学時代のチームメイトで、同じく内野手の子がナックルを投げていた。軽くコツを教わったりして、自分でも投げたいと考えたことはありました」

 

 現在の持ち玉は、最速130キロのストレートに、同112キロのナックル。ナックルにこだわるのは、「投げてて楽しいところ」にあるという。

 

「ナックルはどこにいくかわからなくて、投げてて楽しいところがある。ナックルがよければバッターは打てないと思うので、ほかの変化球を投げる必要性を感じないです」

 

 まずは独立リーグに所属することが決まった佐野。インテリナックルボーラーの挑戦は、夢に一歩近づいた。

さの・たいが
 1998年11月16日生まれ 172センチ、68キロ 静岡県浜松市出身。浜松南高校を経て、現役合格で千葉大学法政経学部法政経学科に。春から4年生。所属ゼミは金融系 小学2年時にソフトボールをはじめ、中学から硬式野球

安治川親方が一月場所を解説「白鵬は大栄翔に苦しめられる」

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安治川親方

 

 1月12日に初日を迎える、大相撲一月場所。世代交代が進むなか、抜け出すのはどの力士か――。稀代の業師として活躍し、2019年に引退した元「安美錦」の安治川親方(41)が、激動が予想される2020年の角界を占う。

 

 

「一月場所の注目は、やはり新関脇の朝乃山(25)でしょう。昨年の十一月場所では、新三役の小結で11勝。正直なところ、あとひとつは勝ってほしかった。とはいえ、次の大関候補の一番手であることは疑いなく、いずれは “その上” まで狙えると、みています」

 

 

 朝乃山のよさは、「まず正攻法でいくところ」だという。

 

「相手が何をしてこようとも、とにかく前に出ていく。攻める気持ちで相撲を取っているので、流れがとてもいい。

 

『右四つ』という得意の型はありますが、頭から当たっていくこともできるし、まわしが取れなくても、どんどん前に出ていきます。上半身の柔らかさがあるのもいいですね。

 

 2019年は初優勝と年間最多勝(55勝)で、頭角を現わした1年でしたが、まだまだ伸びしろはある。真面目な性格で、稽古でも土俵の上でしっかり汗をかいていると聞いています。

 

 押し相撲が多い昨今の相撲界で、ああいう正統派の四つ相撲というのは、日本人力士では久々に出てきたタイプ。かつての魁皇関(現浅香山親方)のように、まわしを取ったらもう負けない、そういう力士になりつつあります。

 

 早めに大関に上げても大丈夫。大関に上がれば、さらに自信をつけて、地力をつけていくタイプでしょう」

 

 朝乃山とともに大きな期待をかけるのが、新小結の大栄翔(26)。

 

「こつこつと稽古を重ねる姿を巡業でも見ていて、『いずれは上がってくるだろう』と思っていました。体も大きくなり、肩幅も広がって、いい体つきになってきましたね。

 

 誰が相手でも思い切り当たっていき、勝っても負けても、自分の相撲を取り切るのが素晴らしい。ぶれずに自分の相撲を取ればいい。

 

 そのよさが出たのが先場所、白鵬から挙げた金星。相手が上であるほどいい相撲を取れる、そんな力士だと思います。今年また、白鵬をはじめ上位陣は手を焼きますよ」

 

 一方、実力を発揮しきれていない力士も……。

 

「阿炎(25)は、4場所連続の小結。ずっと勝ち越しているのに番付運に恵まれず、今場所も関脇には上がれなかった。期待している力士の一人なんですが……。

 

 阿炎のいいところは、『思い切りのよさ』に尽きます。叩くにしても、横に動くにしても、突っ張るにしても、とにかく思い切りがいい。もっと押す力をつければ、大関も狙える存在でしょう。

 

 そして、師匠・錣山親方(元寺尾)のような回転のいい突っ張りを身につければ、相撲の幅が広がるはずです。まだまだ、伸びしろがある力士ですよ」

 

 もちろん、“人気者” からも目が離せない。

 

「いまや、角界一の人気者となった炎鵬(25)も楽しみです。今場所は前頭五枚目まで番付を上げてきたので、横綱・大関との対戦があるかもしれません。豪栄道や高安にとっては、やりにくい相手でしょう。

 

 炎鵬のよさは、最後まで諦めない姿勢。ああいう相撲を見せれば、お客さんは喜びますよ。そして相手をかわすだけではなく、しっかりと向かっていくこと。

 

 相手は炎鵬の動きを警戒しているぶん、どうしても重心が後ろになってしまう。そこをうまく押すことができれば、押し出すことができるわけです。最近は、その押す力もついてきました。上位との対戦が楽しみです」

 

箱根駅伝「ナイキ旋風」の裏でミズノが極秘の逆襲作戦

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ミズノの靴を履いた嶋津選手(写真:松尾/アフロスポーツ)

 

 1月2日、3日におこなわれた第96回「箱根駅伝」。青山学院大学が2年ぶりの総合優勝を果たしたことは記憶に新しいが、陸上競技に詳しくない人でも、ピンクと緑の「ナイキ」のシューズがランナーたちの間で大流行していたのは耳にしているのではないか。

 

 

 今回の箱根駅伝では、出場ランナーのうち約85%がナイキの「ヴェイパーフライ ネクスト%」を着用していた。これまで「アディダス」のサポートを受けていた青山学院大学の選手たちも、全員がアディダスのシューズから「ヴェイパーフライ」に履き替えて出走。結果として総合優勝を勝ち取った。

 

「ヴェイパーフライ」は、クッション性のある厚底のソールに、反発を受けやすいカーボンプレートが入っていることで速く走れると言われている。

 

「2019年の箱根駅伝、9月のマラソン・グランド・チャンピオンシップでナイキのシューズを履く選手が多かった印象はありましたが、今回のように群を抜いてシェアを独占するのは驚きでした。それほど、選手たちはこの靴の優位性を感じているということでしょう」(陸上ライター)

 

 実際、区間賞を獲得した選手10人のうち、9人が「ヴェイパーフライ」だ。

 

 唯一、それ以外の靴で区間賞を獲得したのは、創価大学の10区・嶋津雄大選手(4年)だった。嶋津は区間賞だけでなく、従来の区間記録を19秒更新。タスキを受けた時点で11位だったチーム順位も9位に押し上げ、創価大に初めての箱根駅伝シード権をもたらした。

 

 その嶋津の足元に注目すると、なんとロゴも何も入っていない謎の「白シューズ」を履いている。足袋のようなハイカットは今までのランニングシューズでほとんど見たことがなく特徴的だ。

 

 大会では数人の選手がこの奇妙な「白シューズ」を着用していたが、詳細は語られていない。ただ、「ミズノが作っているらしい」という噂が一人歩きしていた――。

 

 そこで、ミズノ広報にこの「白シューズ」について問い合わせると、「あれはミズノの “プロトタイプ” のシューズです」と初めて公に答えたのだ。

 

「ナイキのシューズに対抗するため、開発を早めてプロトタイプを投入し、事前の試し履きテストでも高い評価をいただいてました」とミズノ広報は明かす。箱根駅伝で7選手が着用したという「白シューズ」は打倒・ナイキへの秘策ということだ。

 

 ナイキの「ヴェイパーフライ」は、反発性の高いカーボンプレートで一世を風靡しているが、「白シューズ」も「反発性の高さが特徴」という。ただし、カーボンプレートは入っておらず、ミズノが独自に開発したプレートや新素材を採用しているという。

 

白シューズ(ミズノ提供)

 

 かつて放送されたドラマ『陸王』(TBS系)を彷彿とさせる “足袋ふう” デザインにした理由については、「開発品のため、これ以上の詳細はお伝えできません」とのこと。だが、その性能については相当な自信を持っていることがうかがえる。

 

「創価大学の嶋津選手が従来の記録を大幅に塗り替える区間賞を獲得したことで、シューズのパフォーマンスが実証され、自信を持つことができました。

 

 昨年12月におこなわれた全国高校駅伝でも、全員が弊社のシューズを使用した九州学院高校が予選から大きくタイムを伸ばして4位に躍進しています。

 

 プロトタイプのため使用選手はまだ少ないですが、新モデル発売に向けた開発を進めるうえで、確実な手応えを感じています」(ミズノ広報)

 

 今年の夏ごろには発売を予定しているという。ナイキがほぼ独占状態のランニングシューズ市場で、国産メーカーの逆襲が始まった。

元エースが語る高校サッカー「昔のJリーガーはみんなタバコを…」

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左から山田さん、森崎さん、磯貝さん

 

 現在、開催中の全国高校サッカー選手権。98回の歴史を数える同大会は、Jリーグ誕生以前から冬の風物詩として長く親しまれ、数多くの名勝負やスターを生み出してきた。

 

 今回、いずれも名門校のエースとして活躍し、その後、Jリーグ入りも果たした元スター選手3人、礒貝洋光さん(1988年帝京高卒)・ 山田隆裕さん(1991年清水商高卒)・ 森崎嘉之さん(1995年市立船橋高卒)が、当時の裏話や近況を語った。

 

 

 

――礒貝さんは、高1と高3でベスト8。山田さんは1年生で優勝し、決勝戦で決勝ゴールも決めた。森崎さんは3年生で優勝し、8ゴールで大会得点王に。しかも、帝京との決勝戦でハットトリックを決める活躍でしたね。

 

山田「以前、テレビで天才アスリートたちを紹介する番組があったけど、『天才』なんて、そんなにいない。

 

 だけど、2人は本物の天才。とくに礒貝さんは、1年生で帝京の10番を背負ってたしね。うまかったし、色も少し黒くて、最初は留学生かと思ったぐらい(笑)」

 

礒貝「昔は外国人みたいと言われたからね(笑)」

 

森崎「僕は中学のころに山田さんに憧れていて、真似してアシックスのスパイク『インジェクター』のイエローラインを履いていました。

 

 山田さんが3年生だったときの清水商のスタメン全員言えますよ(笑)。名波浩さん(前ジュビロ磐田監督)、大岩剛さん(前鹿島アントラーズ監督)、望月重良さん(SC相模原代表)……」

 

山田「気持ち悪い(笑)」

 

礒貝「俺にとっては、選手権大会なんてどうでもよかった。夏の国体なら、勝ち上がれば期末テストが免除されたけど、正月はもともと冬休みだから、勝っても何もない。だから、夏の国体のほうがモチベーションは高かった(笑)」

 

山田「礒貝さんのときのメンバーもすごくて、同期に森山泰行さん(元名古屋グランパスなど)と、本田泰人さん(元鹿島アントラーズなど)がいた。古沼貞雄監督は、礒貝さんたちが入学してすぐに『優勝を確信した』って言ってたんですよね」

 

礒貝「確信しただけで終わっちゃったけどね(笑)」

 

山田「僕は1年のときに、市立船橋との決勝戦でゴールを決めて、その後、Jリーグで31歳までやったけど、若いうちに運を全部使っちゃったんです。

 

 決勝ゴールはコーナーキックからだったんですが、(右側頭部を指しながら)なんかこのへんに当たったのがちょうどいいところに飛んで入っちゃって(笑)」

 

礒貝「俺なんて最後のPK戦(対東海大一戦)は、中途半端なキックでGKにキャッチされたからね。普通、PKはキャッチされないでしょ(笑)」

 

森崎「僕は優勝したけど、決勝でのハットトリックもたまたま。『市船の練習は厳しい』といわれていたんですが、適度に手を抜いてたから、キツいと思ったこともなかった。

 

 だから2人と違って、Jリーグは入っただけになってしまった。ジェフ市原で2年やって、カップ戦で1試合、4分しか出てないですからね(苦笑)」

 

山田「僕が高校生のころは、まだJリーグができる前で、冬の選手権で活躍すればスターになれた。だから、モテたい一心で頑張った(笑)」

 

森崎「活躍すると、モテましたね。優勝した翌日、普通に登校したんですが、ファンが500人くらい来てて、帰宅しても家の前に50人くらいいたんです。こっそり窓からかわいいコを探していました(笑)」

 

山田「いまはプロができて、いい選手は(高校のサッカー部ではなく)Jリーグの下部組織のユースチームに入るなど、選手権のあり方が変わってきていることは、少し寂しい気がします。清水商も学校再編で、名前がなくなっちゃいましたからね」

照ノ富士が語った「俺が『完全断酒』に成功するまで」

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 21歳で新十両、22歳で新入幕、23歳で初優勝、大関昇進を果たしたかつての「怪物」は、“角界史上最大の復活劇” のため、大好きな酒を断つ決意をした。

 

「やめようと思ったことは、何度もありましたよ。大関がここまで落ちたわけだから、『やめなくちゃいけない』という気持ちも……。実際、親方に5~6回は『引退させてください』と言いに行きました」

 

 

 身長190cm、体重193kgの巨体を生かし、豪快な相撲で場所を沸かした照ノ富士(28)が、この一月場所で、10場所ぶりに「十両」の取組に戻ってきた。

 

 本人いわく、「膝の状態はまだ3、4割程度」。朝稽古でも相撲は取らず、四股や、チューブを使ったトレーニングに勤しんでいる。地味に見えるゴムチューブを使ったトレーニングを、体が汗でびっしょりになるほどおこない、動きを確認するようにじっくりと摺り足をみせた。

 

「上半身は大丈夫です。まあ、死ぬほど鍛えましたから」と照ノ富士は語気を強めて話す。実際、体の張りは大関時代と遜色ない。

 

 かつて、伸び盛りの “怪物” には、「次の横綱は照ノ富士で決まり」と期待が寄せられていた。2015年、三役を2場所で “突破” して大関に昇進。これは、年6場所制での最短記録だ。そのなかで最初に襲われたのが、両膝の怪我だった。

 

「膝を怪我しながらも、稀勢の里関(当時)と優勝争いをしたし、2場所連続準優勝もできた。でも、その後、体は限界まできていました。こんな酷い状態が続いたら、『何年か後には死ぬんだろうな』と思ったくらい、苦しみました」

 

 じつは、怪我とともに照ノ富士を悩ませたのが、重い糖尿病だ。さらに、腎臓結石も見つかった。大関の座から、在位14場所で陥落。そして2018年五月場所で、十両を陥落。これが照ノ富士、最大の試練だった。 

 

「病気を治しながら、3回めの膝の手術をしたんです。いちばんつらかった。洋式のトイレすら座れない。つねに隣に人がいないとダメで、車椅子生活のようでした」

 

 その後は休場が続き、大関経験者として史上初めて、番付が「序二段」まで落ちた。 

 

「自分のなかでは、『怪我だけだったら(もっと早く)乗り越えることはできた』と思いますよ。でも病気が重なってくると、体に力が入らないし、怪我の治りも遅くなる」

 

 伊勢ヶ濱親方(59・元旭富士)に直訴した “引退願” は、すべて「跳ね返されましたね(笑)」という。再起へ背中を押してくれたのは、周囲の手助けだった。

 

「親方は、いちばんキツかった大関陥落のころも、『まだ関取なんだから、やりながら病気を治せ』と。それに番付が落ちても、親方、おかみさんをはじめ、応援してくれる人がいる。

 

 番付が落ちれば、付け人をやらなくてはいけないのがこの世界ですけど、免除していただいた。それなのに、大関時代に付け人だった子が、『これはやっておきますよ』と申し出てくれたりもした。

 

 嬉しかったなあ。それを実感できたとき、『この人たちのために、もう1度頑張ろう』と思えるようになりました。みんなが喜んでくれたらいいなと」

東京五輪7人制ラグビー女子「中村知春」リオの無念を忘れない

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 リオ五輪で正式種目として採用され、大きくマスコミに取り上げられた7人制ラグビー。「金メダルも夢じゃないと思います!」と宣言した言葉とは裏腹に、女子の結果は1勝4敗の10位。

 

 終わった瞬間、キャプテンを務めた中村知春(31)は、唇を噛みしめた。

 

 

「気持ち的には、『生きるか死ぬか』という覚悟で臨んだのですが、振り返るとすべてが甘かった……」

 

 その悔しさを忘れないために、リオ五輪の関係者からもらった、キリスト像のモチーフを持ち歩く。東京で、“サクラ” を咲かせるために……。

 

「感情も思いも、仲間との関係も、すべて丸出しになるのがラグビー。そこがラグビーの魅力だし、だからラグビーはおもしろいんです」

 

●中村知春の “金言”
「死ぬこと以外はかすり傷」

 

●一問一答
――勝負メシ、ご褒美メシは?
「合宿が終わったあとに飲むビール。東京五輪が満足のいく結果に終わったら、フライドチキンとかハンバーガーを食べながらビールを飲みます!」

 

――好きなアスリートは?
「為末大さん。言葉のひとつひとつが勉強になります」

 

――ラグビーに出会わなかったら?
「会社で広告を作っていたと思います」

 

――好きな本は?
「ビジネス書。会社の組織もチーム作りも、同じなんだと思います」

なかむらちはる
1988年4月25日生まれ 神奈川県出身 162cm 64kg 小学校からバスケットをやっていたが、法政大学在学中にラグビーを始め、卒業後は電通東日本に入社

 

写真・槇野翔太
取材&文・工藤晋

 

(週刊FLASH 2020年1月28日号)

筒香嘉智、高校野球の球数制限500球に違和感を示す

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 今季から米大リーグのタンパベイ・レイズに移籍が決まっている筒香嘉智外野手(28)が、中学時代に所属した堺ビッグボーイズの小・中学生と交流会を行った。

 

 12日、午前9時にグラウンドに姿を見せた筒香選手は約3時間、練習に参加したり、アドバイスを送ったり、質問に答えたり、最後は豪快なスイングを披露したりと充実した時間を過ごした。

 

 

 野球人口の減少が叫ばれている昨今、堺ビッグボーイズは小・中学生を合わせて約190人が在籍する大所帯。他県からもわざわざこのチームに入団している選手もいる。その理由について筒香選手はこう語る。

 

「お茶当番とか、無理な土日の協力とか、お母さんたちが苦労して、困っている。野球をやらしたいけど、できない。家族の時間も取れないという手紙をたくさんいただきました。

 

(野球人口の減少は)少子化の何倍も進んでいるのが現状です。そういうのをなくして、子どもたちのためにしっかり教育、指導ができれば、まだまだ野球をやりたい、野球をする子どもたちはきちんとすれば増えるんじゃないかと思います」

 

 筒香選手は球数制限にも言及。持論を展開した。

 

「高校生で1週間に500球ですかね。プロ野球選手は1週間で先発投手が投げるのは、今はだいたい100球前後。多くて130球くらい。中継ぎでも1週間で100球いったら、けっこう投げてる登板数だな、と感じる。

 

 ルールを作ったから前進と言われますが、ただ作ったらいいんじゃなくて、やっぱり子供たちの成長の過程のなかで真剣にルールを考えないと。球数制限ができたことがよかったと報道されますけど、僕はそれは違うんじゃないかと思います」

 

 筒香選手はアメリカの少年野球事情も肌で感じてくるはず。来オフの発言にも注目したい。


令和の怪物「ロッテ佐々木朗希投手」入寮第一声は「チワッ!」

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「令和の怪物」がビビった!? 入寮直後、緊張した面持ちの千葉ロッテマリーンズ・佐々木朗希投手(18)が、「チワッ!」と “いの一番” に挨拶した人物は、「浦和寮」の田村次夫寮長(58)だった。

 

「田村さんは、ヤクルト野村克也監督のもとでトレーナーを務めた経験があり、『挨拶、返事、時間厳守、3食きっちり、準備準備また準備、確認確認また確認』を叩き込まれた裏方です」(球団関係者)

 

 

 201号室に決まった佐々木。部屋の広さは8畳から9畳ほどだという。部屋割りに関して、球団は粋な計らいを見せた。

 

「チームに早く溶け込めるように、隣部屋は、同じ東北出身で高卒の成田翔投手(21)。

 

 佐々木はおとなしそうに見えて、マスコミの前とプライベートでは違う顔を見せる。去年のU-18W杯で、同行した女性スタッフに気軽に話しかけるなど、やんちゃな一面もある」(スポーツライター)

 

 そして、ある球界関係者は、「佐々木にとって千葉ロッテは最適な球団だ」と語る。

 

「世間から注目を集める人気球団ではないうえに、3年連続Bクラスと低迷中。毎年優勝を求められることもないので、時間をかけて若手を育てやすい環境にある。

 

 また、井口資仁監督の “若手育成手腕” は、意外と評価が高く、現に種市篤暉(21)や岩下大輝(23)といった高卒投手を開花させている」(スポーツ紙記者)

 

 2019年末、井口監督は1年めの登板回数の目安を、50イニングに設定すると明言。

 

「キャンプでは、走り込みで体力アップを図り、1軍昇格は早くてもシーズン後半の可能性が高い」(同前)

 

 日本球界の至宝が千葉でベールを脱ぐ。

(週刊FLASH 2020年1月28日号)

元阪神・赤星憲広「引退翌年の税金が重くのしかかった」

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 阪神タイガースで活躍した、赤星憲広氏が1月16日、『じぶん銀行臼井社長×赤星憲広 特別対談 “教えて!臼井社長”』に登場した。

 

「現役時代はお金について考える余裕もなく、(引退後の)先を考えての生活は送れなかった」と率直に打ち明ける赤星。

 

 

「一緒に入団したメンバーには、大卒・社会人もいて、お金がぽんと入ると使っちゃう人もいる。現役時代、どの程度貯金しておけばいいのか」と疑問を口にすると、臼井朋貴社長は「契約金は会社員の退職金に相当するので、置いとくべき」などと答えた。

 

 現役時代、最高年俸2億5000万(2008年契約更改時)を稼いだが、引退後に税金が重くのしかかった。

 

「引退した年が年俸一番高くて、年俸ない翌年に最高年俸のときの税金を払うことに。自分で仕事していて、いくらもらえるかわからないときだったので、ある意味タダ働き。ただ貯金はしていたので(なんとか)……」

 

 引退して今年で11年め。

 

「五輪開催地が東京に決まったとき、野球以外の仕事でいろんなスポーツに携わりたいと思った」と、2020年を一つの区切りにし、積極的に野球以外の選手たちに話を聞きにいったという。

 

 今後については「(2020年の)その先はあまり決めてなくて、どうしていくかはわからない。ただ、いろんな選手にインタビューしたりして、野球に生かせるものを得たと思う」と前向きに話した。

ユース五輪で金…アイスダンス西山真瑚は17歳でカナダ一人暮らし

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西山真瑚選手

 

 2020年が幕開けし、いよいよ東京オリンピックの開催も迫ってきました。ところで、いま本物のオリンピックが開催されているのをご存知でしょうか。

 

 会場は国際オリンピック委員会(IOC)の本部があるスイス・ローザンヌ。オリンピックのお膝元で、『ローザンヌ2020・冬季ユース五輪』が1月9日に開幕しました。

 

 

 ユース五輪(YOG)は、「世界の若者たちにオリンピック精神を養ってもらうこと」を目的に、夏季と冬季、それぞれ4年ごとに開催され、原則15〜18歳の選手が競う、いわば若者のための若者による五輪です。

 

 運営も若者が中心になっておこないます。第3回大会の今回は、世界79カ国1900人が8競技81種目にエントリー。22日まで2週間にわたり熱戦が繰り広げられています。日本は7競技に過去最多の72選手を送っています。

 

 YOGは、2022年北京冬季五輪の有望株を占う上でも注目度の高い大会です。注目は、フィギュアスケート・アイスダンス日本代表の西山真瑚選手(17)と吉田唄菜選手(16)のペア。

 

 日本では羽生結弦選手や紀平梨花選手などを筆頭に「フィギュアといえばシングル」と想い浮かべる人が多いでしょうが、世界的に見ると、アイスダンスの人気は非常に高いのです。

 

 4回転ジャンプのような派手な飛び道具ではなく、ペアがシンクロするステップやコンビネーションの美しさを重視する大人の競技というところが、欧米では魅力的に映るのかもしれません。

 

 アメリカ、カナダ、ロシア、フランス、イタリアなどが強豪です。YOGでもその人気は高く、アイスダンスのチケットは早々になくなってしまいました。息子の晴れ姿を見ようとローザンヌ行きを楽しみにしていた西山選手のご両親でさえ、1試合のチケットを手に入れるのがやっとだったそうです。

 

 そして、1月15日、各国の選手を抽選で8組に振り分けて競う「NOC混合団体戦」において、西山・吉田ペアは、ジョージアのペア、エストニアの男子シングル、ロシアの女子シングルと組んだチームで、見事、優勝! オリンピック金メダルを授与されました。

 

 この団体戦のアイスダンスの成績は、ロシアやカナダ、アメリカの上位ペアを抑えての1位で、団体戦金メダルに大きく貢献したのです。

 

■団体金メダルにアイスダンスの強化は必須

 

 西山・吉田ペアが彗星のごとく現れたのは、2019年8月のジュニアグランプリ・アメリカ大会。若さあふれるハツラツとした演技で、鮮烈な国際デビューを果たしました。正式にペアを結成してわずか半年での国際大会。吉田選手はアイスダンス選手としての実績があり、西山選手も6歳からシングルを始め、その技術と表現力には定評があります。

 

 周囲の期待以上の完璧な演技で、なんと6位入賞を果たし、その後のジュニアグランプリ・イタリア大会でも6位入賞、全日本ジュニア選手権優勝と好調をキープ。これまで日本枠のなかったYOGのアイスダンス出場権を自らの実力で勝ち取りました。今回の金メダルは、まさに快挙です。

 

 この西山・吉田ペアの活躍は、日本のフィギュアスケート界にとっても重要な意味を持ちます。なぜなら、2014年ソチ五輪からフィギュアスケートで「団体戦」が正式種目に採用されたからです。団体戦は男子シングル、女子シングル、ペア、アイスダンスの4種目の総合成績で争います。

 

 フィギュアスケート最強国となるためには、他国に後れをとっているアイスダンスの強化は必須。2人にかかる期待は相当大きいのです。フィギュアのファンはそれを知っているのか、彼らを『うたしん』と呼び、競技会場では『うたしん、がんばれ!』という手作りのバナーを持って応援する姿も多く見かけます。

 

「オリンピックは夢の舞台。楽しんでやります」と語っていた西山選手。今回のYOGをステップに、日本にアイスダンス旋風を起こし、北京五輪では日本にぜひ団体戦金メダルをもたらしてほしいものです。

 

英国リバプールでデビュー「南野拓実」のAKB48愛

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ゼッセル熊取では、日本代表の室屋成(左)とチームメイト

 

「お父さんは、『本人も、ああいう強豪チームで挑戦したいと言っていたのでよかったです』と、たいへん喜んでおられましたね。私も涙が出そうです。

 

 スタッフたちと、『うちのグラウンドから、リバプールに入団する選手が出るとは……』と、感慨深く話しました」

 

 

 こう語るのは、イングランド・プレミアリーグの「リバプールFC」に入団した南野拓実(24)を、小学生時代に指導していた、「ゼッセル熊取FC」の杉山恵三代表だ。

 

 南野が移籍した は、昨季の欧州王者で、2019年12月に、FIFAクラブワールドカップも制したばかり。いま、世界一のメガクラブだ。

 

「(前所属の)ザルツブルクで2年めのとき、帰国してチームに遊びに来てくれたんです。そのとき彼が言ってたのは、『ザルツブルクでスタメンを取って、中心選手になります』。そうすれば、『次へのステップアップに繋がっていく』と。

 

 4歳から、うちに通ってサッカーをやっていましたが、指導者から言われなくても黙々と練習してましたし、幼稚園が終わって練習が始まるまでの時間に、サッカーのビデオを見せていても、飽きて騒ぎだすほかの子に『お前ら静かにしろ!』なんて注意しながら、ずっと見てました」(杉山代表)

 

“ド真面目ぶり” は、大人になってからもこんなエピソードが。

 

「イケメン選手として話題にのぼることも多々。それに対し南野は、嫌悪感すら滲ませて、『なぜ実力を認めてくれないんだ。いつかは認めさせてやる』と言っていたほどだった」(サッカーライター)

 

 高校時代から指導した、「セレッソ大阪ユース」の藤野英明コーチも、当時の印象を語る。

 

「高校1年の開幕戦で、いきなりハットトリックを決めるなど、当時からプレーも規格外でしたが、いちばんの魅力はサッカーに対して大人っぽいところ。

 

 海外遠征でも外国人選手にまったくひるまないし、(相手の)国が変わって、人種が変わって、自分のプレーが変わるようじゃ、サッカーはできねえぜ』ということを、16歳のときには言ってました。

 

 トップチームに上がった19歳当時、南アフリカW杯の得点王でMVPのディエゴ・フォルランが来たんですが、拓実は練習中に『今のタイミングで俺にパス出せよ!』とフォルランに言ったんです。まわりの選手は気を遣って、彼にいいボールを出そう出そうとするなか、拓実は逆に『パスをくれ!』と。

 

『お前は何様だ』とフォルランはすごく怒ってました(笑)。取り組む姿勢とか、メンタルの強さはまわりとは全然違いましたね」

 

 藤野コーチが、ひとつ覚えていた、南野の「ピッチ外の顔」があった。

 

「学校の勉強は、あまりする子ではなかったです(笑)。サッカーを離れたら、いたって普通の子で、同年代の子たちとアイドルの話もしてました。15~16歳のころは、『AKB48』の大ファンだったんですよ。

 

 モナコなど海外遠征に行って練習に参加したときでも、日本からAKB48グッズを持っていって、外国人選手に渡して、コミュニケーションをとっていました」(藤野コーチ)

 

 海外でも “布教” するとは……。ハマったらとことんやる、がプレミア級の天才を生んだのだ。

(週刊FLASH 2020年1月28日号)

ザッケローニが電撃復帰で「森保一監督」3月解任危機

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「これまでどおり、『日本代表の勝利』『日本サッカーの発展と歴史の継承』、そして『応援してくれる人たちが喜んでもらえるように』という軸を、ぶらさずにやっていきたい」

 

 U-23アジア選手権に出場した日本は、2敗1分けと惨敗。同大会でのグループステージ敗退は、代表史上初だ。それでも、帰国後の日本代表・森保一監督(51)は冒頭のように話し、続投に意欲を見せた。

 

 

「A代表」と「五輪代表」のポストを兼任する森保監督。手腕が疑問視されているのは、A代表でも同じだ。国内組のみのA代表で臨んだ昨年12月の「E-1選手権」では、韓国に敗れ、優勝を逃した。W杯2次予選こそ全勝中だが、森保監督の戦術、采配について、日に日に批判の声が大きくなっている。

 

「だからといって、すぐに後任を探せる時期ではないんです。Jリーグは開幕に向けて各チームがキャンプ入りしていて、優秀な監督はすでに確保されている。欧州もシーズン真っ最中。フリーの立場の監督は、限られている」(スポーツ紙サッカー担当記者)

 

 日本サッカー協会の田嶋幸三会長(62)は1月16日に、「今までどおり変わらない形で」と、森保続投を支持したが、なかなか解任に踏み切れないのには、裏事情がある。

 

「そもそも田嶋会長が、『オールジャパンの監督にふさわしい』と言って、東京五輪代表と兼任で任命したのが森保さん。それを、五輪間近に解任となれば、田嶋会長自身の任命責任が問われる」(前出・記者)

 

 人材難と会長のメンツのために続投とは寂しい話だが、「電撃解任の可能性は残されている」とベテランサッカーライターは語る。

 

「3月27日に南アフリカ、3月30日にコートジボワールと、五輪代表の強化試合がおこなわれる。そこで連敗するようなら、五輪代表監督について、交代問題が再燃する。その時点で五輪本番までは4カ月。

 

 ロシアW杯直前にも、ハリルホジッチ監督を解任して西野朗氏を “昇格” させた。その前例どおりなら、現在、監督代行を務めている横内昭展コーチ、あるいは、ロンドン五輪で指揮を執った関塚隆技術委員長の内部昇格といった形になる。

 

 ただ、協会としても毎回のように内部昇格ですませている印象は避けたい」

 

 そこで、協会内で囁かれているのが、意外な人物の復帰だ。

 

「じつは、2020年元日の天皇杯決勝に、ザッケローニ元日本代表監督が来場していた。それだけでなく、昨年12月のJ1リーグ最終節でも、横浜F・マリノス対FC東京の試合を観に来ていたんです。『彼と仲のよい田嶋会長が、“視察” を手配した』といわれています。

 

 昨年まではUAEの代表監督を務めていたが、『UAEでは、ひどい目にあった。給料の遅配は当たり前だし、選手は規律を守らない。その点、日本はすべてが素晴らしい』と協会関係者に漏らすほど、現在も日本協会とは良好な関係。

 

 東京五輪本番で、彼を日本代表の指揮官に電撃復帰させるという選択肢は、非常に現実的。日本サッカーも熟知していますから」(同前)

 

 最近は、日本代表戦でもスタジアムに空席が目立ち、テレビ中継の視聴率も苦戦中。前出のスポーツ紙記者はこう話す。

 

「ファンの関心を引くために、Jリーグで活躍したかつてのスター選手、ストイコビッチやブッフバルトも候補として挙がっているようだ」

 

 ファンからも、森保続投に疑問の声が上がっている。決断まで残された時間は少ない。少しでも早く、真の “オールジャパン” 体制になれるといいが……。

 

写真・北川外志廣/アフロ

 

(週刊FLASH 2020年2月4日号)

東京五輪ホッケー女子「小野真由美」現役復帰を決めた豪州留学

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「10歳のときにホッケーに恋をして、振り返ると、ホッケーしか知らない自分がいました」

 

 だからこそリオ五輪後に小野真由美(35)は、一度はホッケーから離れる決意をした。

 

 

 しかし……自分と向き合うために留学したオーストラリアで、あらためて気づいたのは、「やっぱりホッケーしかないな(笑)」ということ。

 

 思いだけでは、乗り越えられない壁があった。覚悟も問われた。それでも小野は、再びフィールドに帰ってきた。

 

「自慢できることがあるとしたら、年齢を重ねたぶんだけ、誰よりも応援してくださる方の数が増えたということ。多くの人に支えていただいて、いまの私がある。それをお返しできるのが、オリンピックという舞台なんです」

 

●小野真由美の “金言”
「幸せとは感謝から始まる」

 

●一問一答
――宝物は?
「北京五輪の前、誕生日に先輩たちからいただいた寄せ書きです。ページをめくると、『素直になりなさい』という言葉のオンパレードで。『どれだけダメな人間だったのか』と思います(苦笑)」

 

――自身の性格は?
「自覚症状はないんですけど……。みんな、へんだって言うので、きっと、へんなんだと思います(笑)」

 

――弱点は?
「体が硬いことですね。一生懸命ストレッチをやるんですけど、翌日には元に戻っています」

 

――試合前に聴く曲は?
「安室奈美恵さんの『Finally』」

おのまゆみ
1984年8月14日生まれ 富山県出身 170cm 61kg 五輪は北京、リオに出場。2016年のリオ五輪後、一度は現役を退いたが復帰。勤務先は、SOMPOケア広報部

 

写真・田中智久
取材&文・工藤晋

 

(週刊FLASH 2020年2月4日号)

初代監督はカズの実父「静岡学園」10年前は廃部の危機だった

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「本当に嬉しかったです。知良も、たいへん喜んでいましたね。試合前からそうとう気合が入っていたらしく、校歌斉唱ではテレビの前で立ち上がって、一緒に歌っていたと聞いています。

 

 ここに至るまでは、“いろんなこと” があって……よく復活してくれました」

 

 

 感慨深げにそう語るのは、横浜FC・三浦知良選手(52)の実父・納谷宣雄氏(78)である。

 

 第98回全国高校サッカー選手権は、カズの母校である「静岡学園」が、前回王者の青森山田を2点差から逆転し、3対2で、24大会ぶり2度めの制覇を果たした。1度めは、鹿児島実業との両校優勝だったため、初めて単独優勝を飾ったことになる。

 

 グアム自主トレからの帰国直後、母校の優勝を伝える新聞を手渡されたカズは、「グアム旅行招待も考える」と、報道陣に笑顔を見せた。

 

 じつは、静岡学園、通称「静学」サッカー部の初代監督が納谷氏なのだ。1967年にサッカー部が創部された静学が、高校選手権に初出場したのは1976年のこと。

 

 当時の高校サッカーは、前線にスピードのある選手を配し、手数をかけずに一気にゴール前に迫る “欧州スタイル” が主流だった。それに対し、静学はショートパスとドリブルを駆使した “ブラジル流” で、大会を席巻した。名勝負の末、強豪・浦和南に敗れたものの、初出場で準優勝の快挙を果たした。

 

「相手ゴール前で3人に囲まれていても、すべて抜き去ってシュートしたり、自陣ゴール前のピンチで普通ならクリアするところを股抜きしたりするのが、“静学スタイル” だった。

 

 当時の指導者からは、『邪道だ』との声が多く聞かれたのも事実。高校サッカー界では、まさに “異端” でした」(専門誌記者)

 

 その後、静学は、サッカーの強豪校として全国的に認知されるようになる。ところが、いまから約10年前、納谷氏が「いろんなことがあった」と表現する事件が起こる。納谷氏が続ける。

 

「静学のトップが替わり、“サッカー部を前面に出す” 学校経営から、進学校を目指す方針に転換したんです。一時はサッカー部員への特待生制度もなくなり、部の実力も落ちました。廃部寸前に追い込まれたのです」

 

 静学サッカー部を長年率いた名将・井田勝通総監督(77)にも、契約終了が言い渡された。

 

“広告塔” の役割を担っていた、部活の終焉。真っ先に思い出されるのが、高校野球におけるPL学園の事例だ。PL学園は進学校を目指す方針から、清原和博と桑田真澄の「KKコンビ」など、数多くのプロ選手を輩出した野球部を、2016年に休部させた。

 

 だが、同じ道を歩みつつあった静学サッカー部は、そこから復活への一歩を踏み出した。

 

「サッカー部OBと現役の先生方が、『サッカー部をなくしてはならない』と、声を上げて立ち上がってくれたことが大きかった」(納谷氏)

 

 川口修監督(46)も、同部OBのひとり。部員が減るなかでも、井田氏から監督を受け継ぎ、部を守り続けた。すると、想定外の事態が起きた。

 

「やはり、『静学=サッカー』のイメージが強かったのでしょう。サッカー部の強化をやめたら、受験生が定員割れしたんです。それからは学園側も思い直し、強化を続けていく方針に戻しました」(納谷氏)

 

 現在の静学は中学チームも含め、全コーチを同校OBが務める。異端と批判された “ブラジル流” 指導が、復活への原動力となったという。

 

「ほかの高校サッカー強豪校とはひと味違う、『勝つためのサッカーはしない。テクニックを向上させ、育てるのが第一』が指導のモットー。それが、自分の子供に『テクニックを学ばせたい』という親御さんから共感を得ているそうです。

 

 一般入試でも、全国からサッカー部志望の生徒が集まるようになった。いま、部員は10年前の倍近く、200名を超えました」(静岡学園OB)

 

 歓喜の復活V。その裏では、OBたちを巻き込んだ、もうひとつの戦いが繰り広げられていたのだ。

写真・JFA/アフロ

 

(週刊FLASH 2020年2月4日号)


車いすバスケ・鳥海連志、撮影した蜷川実花の印象は派手なお姉さん

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 車いすバスケットボールの鳥海連志選手が1月23日、「『GO Journal』ISSUE 04 発刊記念アスリートトークイベント」に登場した。

 

 今回発刊の同誌に掲載された写真は、写真家・蜷川実花が撮影したもの。

 

「撮影したときには白い衣装を着ていたのに、撮ってもらった写真を見るとカラフル。撮影時とのギャップがあってかっこよかった。『蜷川さんと撮影する』と家族に伝えると、『見学に行きたい』『早く見たいから送ってくれ』と言われた」

 

 撮影中の蜷川はテンションが高めで、「蜷川さんが撮るたびに『きゃー、かっこいい!』と(場の雰囲気を)盛り上げてくれた」という。

 

 

「言葉が悪くなってしまうけど、派手なお姉さん。どういうふうにできあがるのか、どんなポーズを取ればいいのかもわからなかったけど、楽しみながらポーズを撮れた」と、素の自分を引き出してくれたようだ。

 

 同誌にはインタビューも掲載されており、「照れる」と苦笑いしながらも、「インタビュー自体はファミレスの夢庵で(笑)。普通の席でおこないました」と裏話を披露。

 

 パラリンピック本番に向けて、今後は「金メダルを取ることを目標に、トレーニングを重ねて本番に臨みたい」と述べた。

屈辱の合コン…ヤクルト選手が「俺に乳首を引っ張らせろ」

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「屈辱的な時間でした……」
 涙ながらに語るのは、東京ヤクルトスワローズ外野手・塩見泰隆(26)との合コンに参加した女性・A子さん(35)。

 

「西麻布で開かれ、私は夜の12時から参加しました。塩見さん以外に2人いた男性陣は、ずっと塩見さんを持ち上げる雰囲気。本人も偉ぶっていて、つまらなかったです。

 

 

 しかも、『タクシー代を出してくれる』という約束だったのに、自家用車で行ったせいで払ってもらえず、駐車場代も自腹でした」

 

 夜9時に始まった宴は、翌朝の5時に終わりを迎えた。

 

「『俺みたいな一流選手と、ドライブできて幸せだろ?』と真顔で言われ、私が家まで送ることになりました。

 

 ところが、車中で塩見さんから『乳首を引っ張らせろ』とか、『スカートの中に手を入れたい』など、セクハラ発言されまくって……本当につらかったです」

 

 球団広報を通じて塩見選手に確認したところ、「合コンに参加したのは事実ですが、セクハラ発言はいっさいしておりません」と完全否定。

 

「現状では1軍半の選手」(スポーツ紙記者)との言葉どおり、昨シーズンの打率はたったの1割8分2厘。“俺様キャラ” は、本物の一流選手になってから!

 

(週刊FLASH 2020年2月4日号)

ラグビー田中史朗「イシレリ選手はハンバーガー10個は余裕」

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 ラグビー日本代表の田中史朗選手が、1月28日、『夜マック』新メニューPR発表会に登場した。

 

「マクドナルドにはよく行く。テリヤキバーガーが大好き」と話すほどマクドナルド好きな田中。

 

 

「子供もマックが好きなので、休みの日にはドライブスルーで食べたり、店内でも。子供の笑顔が素敵になるので」と優しきパパぶりを見せる。

 

 試合後にもよく食べに行くとのことで、「がっつり食べる。だいたいハンバーガー3つくらい」とアスリートらしい食欲ぶりを告白。

 

 だがチーム内では「体が大きい選手はもっと食べられる。中島イシレリはすごく食べるほうなので、サラダ・ポテト含めてもハンバーガー10個は余裕で食べられるんじゃないかな」と仲間の胃袋の大きさを暴露した。

 

 合宿をおこなった場所でもハンバーガーは提供されているというが、「自分で挟むタイプのやつで、そんなに減ってなかった(笑)。マクドナルドのほうが美味しい」と笑う。

 

 イベントでは、ナイツの土屋伸之と即興コンビ『おひつ』でお笑いライブに挑戦。

 

「お笑い好きなので一緒に漫才できたよかった。やってみて、本当に芸人はすごいと感じた。間がわからなくて、(土屋のを見て)上手いな、プロだな~と実感。ラグビーの試合より、こっちのほうが緊張した」と照れ笑いを浮かべていた。

東京五輪ハンドボール男子「土井レミイ杏利」TikTokにハマり中

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 1988年のソウル五輪以来、「開催国枠」で32年ぶりの五輪出場となるハンドボール男子日本代表「彗星ジャパン」。主将を務めるのが、土井レミイ杏利(30)だ。

 

 強豪国フランスで、プロとして6シーズンプレーした土井の経験は、日本では突出。東京五輪に向け、代表チームでの活動により多く参加するため、昨夏帰国を決意した。

 

 

 一方で日本代表は、2019年1月の世界選手権で7戦全敗、出場24チーム中最下位に沈むなど、世界の壁は厚い。

 

「男子ハンドボールは、何年も五輪に出ていなかったし、今後も実力で出るのは厳しい道かもしれない。ただ、マイナーなハンドボールをより多くの人に知ってもらうためには、東京五輪はすごく大事な大会。

 

 簡単にメダルを狙いますとは言えないですが、まずは1勝を目指し、最大限ベストは尽くします」

 

●土井レミイ杏利の “金言”
「無知の知」

 

●一問一答
――最近ハマっていることは?
「TikTok。『レミたん』のアカウントで、フォロワーは18万人超えです。ハンドボールの普及のために(笑)、TikTokでは、ふだん見られない僕の “本当の人格” をお見せしています!」

 

――最近意識していることは?
「不安やストレスを感じたときに、よく『メディテーション(瞑想)』をして、心と脳を整えてます。部屋を暗くし、音楽を流しながら呼吸だけに集中。すると、恐怖心やプレッシャーがなくなって、ポジティブな気分になれるんです」

 

――休日はどう過ごす?
「人としゃべるのが好きだし、いろんな人の考え方を吸収したいと思っているので、なるべく多くの人に会うようにしています。常にフレッシュな状態でハンドボールに向き合いたいので、コート外では、ハンドボールのことは、まったく考えないようにしています」

どいれみいあんり
1989年9月28日生まれ 181cm80kg フランス人の父と日本人の母の間にフランス・パリで生まれ、千葉県で育つ。日本体育大学を卒業後に渡仏。2013年に強豪「シャンベリー」とプロ契約し、2017年から「シャルトル」で2シーズンプレー。2019年夏から、「大崎電気」に所属

 

写真・福田ヨシツグ
取材&文・栗原正夫

 

(週刊FLASH 2020年2月11日号)

『燃えよドラゴンズ!』作者が明かす「幻の高木監督版」

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亡くなった高木監督

 

 1月28日、中日ドラゴンズは17日に急逝した高木守道さん(享年78)の追悼試合をおこなうと発表した。試合はオープン戦で2試合を予定。高木さんの故郷・岐阜県の長良川球場でも1試合が予定されている。

 

「部屋に一人でいるとき、インターネットのニュースで目にしたんです。守道さんの訃報を知ったときは涙が出てしまいました」

 

 

 こう語るのは、中日ドラゴンズの応援歌『燃えよドラゴンズ!』の作者・山本正之氏(68)。中日のスターティングメンバーをたどっていくおなじみの歌詞は、1974年に発表された当初、高木さんが最初だった。

 

「一番高木が塁に出て――」

 

 1974年、山本氏は大学を卒業後、音楽業界を志望し、東京で就職活動中だった。

 

「ある日、下宿に戻ると私の部屋でラジオがついていたんです。そこで放送されていたのがプロ野球の中日戦。同い年で当時ルーキーの藤波(行雄)がタイムリーを打った瞬間でした。同い年の活躍を聞いて『私も頑張らないと』と思ったんです。『よし!やろう!』と。

 

 そういう気持ちで銭湯に行ったら、フレーズが思い浮かんできた。そこから『一番高木が~』という歌詞も出てきて、その日のうちに『燃えドラ』のほとんどが完成しました」

 

 
 郷里・愛知の先輩が上京してきたとき、「応援歌に採用されたら10万円もらえるぞ」と言われて、山本氏はラジオ局に「燃えドラ」を送った。

 

「結局、その10万円というのは先輩の嘘だったんですが、ラジオで曲を流してもらったんです。そうしたら、リスナーの方から大反響で」

 

 中日ドラゴンズの名応援歌になった瞬間だった。歌い手に中日OB・板東英二氏(79)を迎えたレコードは、名古屋を中心に40万枚以上のヒットになった。

 

 
 その後も山本氏は、高木さんと不思議な縁を感じることになる。

 

「自分が見に行くと負ける、という気持ちがあって、子供のころ父親に連れていってもらったきり、球場で試合を見てなかったんです。

 

 でも、『燃えドラ』を発表したこともあって、球場に中日の試合を見に行きました。そうしたら、守道さんが3ランホームランを打ってくれて。試合も勝って、マジックを減らしました」

 

 番組の企画で、高木さんと北陸へ旅行したこともある。

 

「それも『一番高木が~』という歌詞からの企画で、守道さんと私が一緒に旅に行くという企画でした。北陸へ向かう列車のボックス席で目の前にしたのが、本当に初対面で。そのまま2泊3日、一緒にいましたね。

 

 いろいろやったなかで、守道さんに私が歌を聞いてもらうという場面がありました。守道さんが引退したとき、『高木守道に捧げる歌』という曲を私が勝手に作って、それを本人の前で歌ったんです。『ああ守道よいつまでも~』と歌い終わると、守道さんの目が潤んでいて……嬉しかったです。

 

 旅の最後には、みんなで『背番号1』のユニフォームを着て、守道さんからバックトスを教えてもらうところがあって。なので、私は高木守道のバックトスを受けているんです。私のも受けてもらっているし(笑)。守道さんが『あんた、うまい!』と言ってくれたのもすごく嬉しかった」

 

山本正之氏

 

「怒って試合中に帰った」というエピソードからわかるように、グラウンドでは「短気」「頑固者」の印象が強かった高木さん。だが、山本氏はそれとは違う印象を感じたという。

 

「移動中の列車で、私が持ってきたギターケースを網棚に乗せてくれたり、蟹の食べ方を教えてくれたりと優しいんです。グラウンドでも時々垣間見た、もう一つの魅力でしたね」

 

 数年おきに最新版が発表されている『燃えよドラゴンズ!』のなかで、高木さんは現役選手として4回、往年の名選手編で2回、監督として1回、歌詞に登場している。

 

 高木さんが2度めに監督就任した2012年~2013年は『燃えよドラゴンズ!』が発表されなかったが、「幻の燃えドラ」があったと山本氏は明かす。

 

「じつは発表直前までいったんですよ。もちろん歌詞を書いたし、『BACK TO THE DRAGONS』というカップリング曲も作っていました。だけど、結局発表できなかったんですよね。最後はもちろん『守道監督の胴上げだ』という歌詞です」

 

 新たに高木監督が登場する『燃えよドラゴンズ!』は、もう実現しない。

 

「誰かを思い出したときに、その人の『温もり』を感じますよね。私の中の守道さんの『温もり』は、これからもずっと私を温めてくれると思っています。

 

 私はもう一度、守道さんが監督をやると思っていたんです。そのときは『燃えドラ』を作って、会いに行こうと思っていました。ちょっと、早いですよね……」

 

 高木さんの勇姿は『燃えよドラゴンズ!』の歌詞の中で生き続ける。

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